「デイキャッチャーズ・ボイス」山田五郎さんの回を起こしたいと思います。
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山田五郎(以下、五郎)
これね昨日から報道されてますけども。1960年代、昭和の高度成長期に一世を風靡した双子の女性デュオザ・ピーナッツの伊藤エミさんが6月15日にガンのために71歳で無くなってたって事が昨日報道されましたよね。
まぁ大変なショックで同じ思いの方も多いのではないか?と思うんですけれども。伊藤エミさんというと、双子のお姉さんの方ですよね?エミさんとユミさんで。
本名は日出代さんと月子さんで太陽と月なんですけれども。まぁ双子だからピーナッツのお豆が2つ入ってるのと同じ「ザ・ピーナッツ」っていう芸名だったんですけども。
エミさんは日出代さんで太陽の方で、本物のほくろがある方ですね。で、主旋律・・ハーモニー担当の方。そしてジュリーこと沢田研二さんの元奥さんだったほうの方が伊藤エミさんなんですよね。
そういう意味でジュリーファンの私としては、また感慨もひとしおなんですけども。
このザ・ピーナッツ、単なるアイドルとか人気歌手っていうのじゃなくて。僕はね、日本の高度経済成長の象徴であり、それで日本のポップ・ミュージックの歴史そのものだというふうに思うんですよね。
カバーされることが多かったザ・ピーナッツの曲
今かかっていた「情熱の花」これありますよね?1959年にデビューして、まぁ「可愛い花」っていうのでデビューするんですよね。次にこの「情熱の花」っていうのがヒットするんですけども。
この「可愛い花」もフランスの曲なんですよ。「情熱の花」も原曲はあのベートーベンの「エリーゼのために」で、のちにね辻ちゃん加護ちゃんのW(ダブルユー)とか、ヴィーナスの「キッスを目にして」もこれのカバーなんですけど。
だから外国の曲の翻訳から始まってるわけですよ、そもそもはね。このあたりですよね?
1962年になりますと、ヒット曲「ふりむかないで」という・・もうこのイントロでわかりますよね?これもWinkとか松雪泰子さんもカバーしてたんで、聞いたことない?
あとね、当時は初代・林家三平さんが歌ってるバージョンもあんですよね。ザ・ピーナッツがバックコーラスに回って。これはね作詞が岩谷時子さん、作曲は宮川泰さんと純和製ポップスなんですよ。
内容的にも、靴下直しているから振り向かないでっていう・・靴下つったってルーズソックスじゃないですよ!昔のガーターのストッキングですよ!
なんですけども、同時に戦後の敗戦を振り返らないで、前を向いて生きましょう!っていうね。もう「高度経済成長宣言」ですよ!
この宮川泰さん、「宇宙戦艦ヤマト」でも有名な。ザ・ピーナッツの音楽的なプロデュースをした方ですけども。この人もやっぱり欧米のポップスっていうのをどう昇華して日本の曲にしていくか?っていうことを生涯かけて取り組んだ人ですよね。
やっぱりそれが実現出来たのは、ザ・ピーナッツっていう希有な才能があったから実現出来たことなんじゃないかな?っていう気がするんですよね。
最初は向こうの曲の翻訳からはじまって、まさに欧米に追いつけ追い越せでこの和製ポップスがここで追いついたわけですけども。
和製ポップスから世界進出へ
実は次はもう「追い越せ」に行きますからね!1967年のヒット曲、これはもう有名ですよね?このティンパニーのイントロだけで、ドコドコドン!これ、なかにし礼さんの。
これ聞いて頂けるとわかるように、英語版なんですよ。これ作曲はドラクエのすぎやまこういちさんですよ。実はこれアメリカで出した・・。だからもうこのころ一気に欧米進出してるんですよ!
アメリカで例のビートルズも出た「エド・サリバンショー」に出演・・
荒川強啓(以下、強啓)
あ!そんな話ありましたねー。
五郎
はい、出たってありましたでしょ!忘れられがちなんですけど、実は当時の西ドイツもけっこう進出していて。ドイツ語で3枚シングル出してるんですよ、ザ・ピーナッツ。
だからドイツでわたし留学していたころ有名で、ドイツ語でシングル3枚出してたんですよ。あとね、「スーヴェニール・東京」っていうのとね、「ハッピーヨコハマ」っていうのと、「ナガサキボーイ」っていう3曲。これドイツ語で歌ってますね。
だから、「欧米に追いつけ追い越せ」から一気に「進出しちゃおう!」っていうぐらいの。このまさに高度成長の勢いを感じますよね。
強啓
だって僕も少年時代に驚きましたもの!双子のかわいらしい女の子がものすごい明るい歌でダーーンと出てきたでしょ?演歌っぽい人が多い音楽シーンの中にね。そうなのよー、驚いたよね?
沢田研二と伊藤エミの馴れ初めは「東京の女」
五郎
そうですよね。でもちょっともう1曲紹介したいんですけども。こちら1970年のヒット曲なんですけどね、これ覚えてますか?
これね、最近だと椎名林檎がカバーしてるんですよ。「東京の女」と書いて「とうきょうのひと」と読みますけどもね。
これね作詞は山上路夫さんなんですけど、作曲は実は沢田研二さん!ジュリー作曲なんですよ!ジュリー作曲の曲で一番売れた曲とも言われてるんですけども、実はジュリーはこの他にも何曲かザ・ピーナッツに曲提供してるんですよね。
だから、どうやらこのことから伊藤エミさんとお付き合いがあったのではないか?と思われるんですよ。そんなこともあって1975年の4月にザ・ピーナッツは引退するんですよね。
比叡山フリーコンサートで結婚式
五郎
で、その時の6月4日に伊藤エミさんと沢田研二さんが比叡山延暦寺で結婚式を挙げるんですよ!
その同じ7月の20日にこの比叡山で沢田研二さんが、「比叡山フリーコンサート」っていう夏フェスの元祖みたいなオープンエアの大コンサートを開くんですよね。
そこで「僕の妻です」って紹介する。もうジュリーファンが「ギャアーーー!」と。そういう時には必ずいる内田裕也さんが、「お前ら、ジュリーを祝ってやれ!」みたいな(笑)
これもね、あのレコードになってるんですよ!これ大名盤なんですよ!ジュリーの名盤の一つなんですよ。この「比叡山フリーコンサート」のやつ。
これ以後、ザ・ピーナッツは公式の場にいっさい姿を見せてないんですよ!これすごいんですよ!懐メロ番組とかそういうのにもいっさい登場してないんですよね。ある意味、山口百恵さん以上に潔い引退っていうふうに言われたんですよね。
もちろん、ザ・ピーナッツの功績は音楽だけに止まらなくって、1961年にはこれがありますよ、これ!
強啓
あ、モスラだ!♪モスラ~ヤ!ですね。
五郎
♪ドゥンガン カサクヤン ですよ!!この小美人、出て来る・・モスラを呼び小美人ですよね、インファント島の。これザ・ピーナッツが演じて歌も歌ってますよね。
この曲もみんな歌いましたでしょ?♪ハンバ ハンバムヤン ってね(笑)映画でも活躍して、クレイジーキャッツの映画やなんかにもよく出ていらっしゃいましたけど。
歌手にして司会やコントもこなす・・忘れられないのがデビューした59年から70年まで続いたフジテレビの「ヒットパレード」♪ヒッパレーヒッパレーですよね?
それから61年から日本テレビでやってた「シャボン玉ホリデー」あれのクレイジーキャッツとザ・ピーナッツのからみみたいなのが、のちのキャンディーズとドリフのからみとか・・
キャンディーズと伊東四朗のからみみたいなのになっていくわけですよね。サザエさんの前は日曜日の夕方と言えば、「シャボン玉」でしたからね。
強啓
つまりお笑いとそういう歌手との原型だね、かたちだったんだね。
キングクリムゾンの「エピタフ」のカバーは圧巻!(西城秀樹Verも)
五郎
まぁその中でも一番の才能は音楽だと思うんですけども。1972年のライブ盤の「ザ・ピーナッツ・オン・ステージ」っていうのがあるんですけども。その1枚に実力が遺憾なく発揮されてるんですよ。
このライブアルバムなんですけども、司会が岸部四朗さんでこれがまた良い味出してるんですけども。このライブ、オープニングが当時流行っていたユーライヤヒープの「対自核」っていうハードロックの曲なんですよ!
いきなりそれから入るんですよ!キャロル・キングの「It’s too late」とかね、CCRの「プラウド・メアリー」とかぶちかまし、まぁ自分たちのヒット曲も中に入れていくんですけども。
圧巻がこれでね、プログレッシブ・ロックの名曲キングクリムゾンの「エピタフ」という曲なんですけども。「エピタフだよーー!」と思ったもんですよ!
「何カバーしてるんだ!この人たちは!!」と思って!この曲は世界中でいろんな人がカバーして、日本だとあと西城秀樹さんもカバーしてるんですけどもね。
女性コーラスの「エピタフ」っていうのは、世界でもザ・ピーナッツだけなんですよ!こっからサビきますけど、サビのところのコーラスとかいいですよ!
これ宮川泰さんのアレンジなんですけどもね、これ!この「エピタフ」はなかなか無いんですよね!
やっぱりね、ザ・ピーナッツっていうのは、民謡からシャンソン、ポップス、ハードロックまで何でもラクラクと歌いこなしちゃう圧倒的な歌唱力があったんですよね。
だからやっぱりポップスを完全に日本の曲にした功績っていうのは、計りしれないと思いますよ!やっぱザ・ピーナッツなくして今のJ-POPは無いと思うんですよね。美空ひばりと並ぶ昭和の天才だと思いますね。
強啓
伊藤エミさん、本当にありがとうございました。
五郎
ありがとうございました、ご冥福をお祈りします。
(了)