「BURRN!」編集長で落語愛好家・広瀬和生が語る「落語評論はなぜ役に立たなくなったのか?」(終)

2011/09/15

BURRN! 学問ノススメ 落語 立川流

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2011年7月3日(日)ラジオ版 学問ノススメ

広瀬和生(落語愛好家・音楽誌「BURRN!」編集長) さんの回の起こし、
前2回の続きになります。

前2回はこちら、
「BURRN!」編集長で落語愛好家・広瀬和生が語る「落語評論はなぜ役に立たなくなったのか?」(1)
「BURRN!」編集長で落語愛好家・広瀬和生が語る「落語評論はなぜ役に立たなくなったのか?」(2)

今回は、あらゆるジャンルにも共通する評論とは何か?を語られています。

音声はこちらから




蒲田健(以下、蒲田)
広瀬さんはいつ頃から、なんで落語にハマってきてるんですか?

広瀬和生(以下、広瀬)
僕、昭和35年生まれなんで、その当時なんか物心ついた時には
林家三平ってすごい人気者だったし、
三遊亭歌奴(現・円歌)というのがテレビでスターだったり、
今「笑点」しかないですけども、あういう大喜利番組って。
一杯あったんですね、大喜利番組があちこちにあって、落語家がいっぱい出てて。
落語家っていうのがいっぱいテレビに出てて、僕テレビっ子だったので、
テレビをいっぱい見てて、とにかく今のお笑いタレント・ひな壇芸人のように
あちこちに落語家がいて、落語番組ってのもあるから
落語をちょっとやるんですよね。
それをみると、ちょっと面白いんですよね。




でもやっぱり、子供心に「本当の落語はこれじゃないだろう!」っていうのは、
わかるんですよ。ひな壇芸人がひな壇で
「おいおい!」とか言ってるだけじゃない
芸人じゃ無いことくらいはわかるじゃないですか!やっぱり。
「本当は何か芸があるんだろう!」と。「ネタが見たいな!」と。
僕もネタが見たいなと思ったわけですよ。

で、僕は割と型から入るほうなので、SFを読みたいと思った時も
「世界の名作◯◯選」っていうのをガイドを見たり、
推理小説を読みたいと思った時も、
1位が「Yの悲劇」か2位が」黄色い部屋の秘密」か!みたいな。
それを全部揃えていくみたいなね。一応、先人の知恵に頼るタイプなので(笑)

それで当時は「誰がいいのかな?」と思ったら、僕が中学生低学年の時かな?
三遊亭圓生という方が、天皇陛下の前で御前公演をやった。
「えっ!それはひょっとしてすごい事なんじゃない?」っていうのは、
当時は割とプロ野球が好きで、まぁ野球やってたんで・・。
長嶋茂雄・天覧試合っていうのがストレートにイメージされたんです。
天覧試合がすごい、僕は天覧試合がどこがすごいのかよく分からないままに
とにかく天覧試合でホームランを打った長嶋がヒーローになった事は、
すごく染み込んでいたから、ってことは圓生はナンバーワンだな!
長嶋みたいな人なんだな!

それで当時、三遊亭圓生を聞こうと思っていたら、
ラジオやテレビで聴けたんですね。
40分くらいの落語が本当に。NHKもよくいろんな番組やっていたし、
今みたいに「日本の話芸」だけじゃなくて、
「夜の指定席」とかいろんなのがあって。
ラジオはたくさんあったし、レコードも。
僕レコード屋さんにはよく行ってましたから、
ビートルズ買ったり、ジョンデンバー買ったり、
ディープ・パープル買ったりとかね。
で、レコード屋さんで落語も売ってるから、落語を買ってっていうので、
圓生という人を買い集めた。これがすごかったんですよね!!

面白いし、馬鹿馬鹿しく面白いし、感動する話は感動するし。
他に名人っているのかな?って思ったら、
もう死んじゃったけど古今亭志ん生という人がいると。
その息子の志ん朝っていうのが上手いっていうから、
志ん朝を聞こうと思ってレコード買って、
ラジオを聞いて、そしたら「上手いなぁ」って思って。

で、受験勉強は一生懸命してましたから、
大学に入ったら生でいっぱい聴こうと思ってたんですね。
高校ぐらいまでは、ラジオ・テレビ・レコードで、
大学に入って生で聴き始めた。

蒲田
もうじゃあ大学に入って思いが決壊してガーッと・・。

広瀬
当時は残念ながら圓生師匠は亡くなってしまったのですけど。
僕が大学に入った時には、ただ古今亭志ん朝という人がこれから
まさに円熟期を迎えるということで。

蒲田
だから同時代でみているわけですね。

広瀬
古今亭志ん朝、我らがヒーローって感じですよね。

蒲田
でもその落語の何がそんなに夢中にさせちゃったんですか?

広瀬
それは難しいですね。いろいろ分析すればあると思うんですよ。
たとえば、ヘビーメタルのどこがいい?っていうのもそうだし、
SFがすごい好きな人に、「SFの何がいい?」って聞くと、
分析はできると思うんですけど、
はっきりいってこれ!っていう答えはないですね。

大河ドラマとかで僕、戦国時代が好きなんですよ。
「なぜ?」って言われたら、
「戦国時代が好きだから」としか言いようがないんですね。
落語も、落語っていう芸能の在り方がまぁいってみれば分析すれば、
こんなにすごいエンターテイメントは無いよと。
何の背景も使わず、ひとりで全部説明して衣装も使わず、
本当に音楽効果もあまりなく、ちょっとありますけどね、上方落語だと特に。

映画だとか音楽ひとつで全然イメージとか変わるじゃないですか!
そんなことなくお客に頼りきってイメージを膨らましてもらう話芸
ひとりが座って、あっち向いたりこっち向いたり、
そんな日本にしかない、
すごいなぁというところにハマったのかもしれないですけど、
でもやっぱり単純に三遊亭圓生が好き、古今亭志ん生が好きだったんですね。

立川談志が好きになって、好きな人がどんどん増えたから落語が好きで、
今でも僕は落語一般が好きなわけでは全然ないです。
好きな落語はものすごい増えたから、それでいえば一般的には普通の人より
落語ファンだと思います。たしかに。

僕ヘビーメタルもそうなんですけど、
僕がそういうっていいわかんないですけど(笑)
僕はあんまりヘビーメタルファンではないです。はっきり言ってね。
ヘビーメタルの中にすごい好きなバンドがあって。
80年代にヘビーメタルを好きになったときもそうだったんですけど、
好きなバンドがいくつかあって、最初はほんの幾つかだった。
それがたくさんになってきて、「こんなにすごいんだ!今!」
じゃあ仕事にしちゃおうと(笑)

蒲田
なるほど、なるほど。そういうことなんですね。

広瀬
僕の大好きな落語家のひとりに柳家小三治・落語協会会長がいますけど、
小三治さんなんかは、落語が書いてある本を読んで
「こんなに面白い物があったのか!」と思って子供の頃思ってハマった
って言うんですけど。
僕にはその気持ちは全く理解できないんですね。

僕は実際演じられている話芸として始まったものを話芸として知ったから、
もう既にそこには戻れないというか・・。
実際その圓生が好きになって、圓生がやっている「寝床」っていう話を
下手な奴がやると全然面白くないんですよ。
基本的に面白くない落語の方が多いんですよね。

僕の経験ではそうだし、みんな本当は知っていることなんですよ。
いわゆる落語ファンという人たち。
それは、輸入版全部買って、それが全部楽しいと思うマニアは
世の中にはいますけど、
ヘビーメタルファンでも。それはただの変わり者であって・・。

良いもの悪いものは必ずあるし、好みはある。
僕も好きなものだけ好きで、良くないものは良くない。
落語もそうだということなんで、落語の魅力というよりは、

例えば、立川談志の魅力・立川談春の魅力、立川志らくの魅力
柳家喬太郎の魅力っていうものを語れと言われたら、語れますけれども。

蒲田
それぞれ個別のね。

広瀬
落語の魅力って何だろう?
それは立川志の輔がやっているものだからかなぁ?みたいな(笑)

蒲田
結局はでも、そっちになっちゃう。

広瀬
だからその、志ん生の「火焔太鼓」、
今はみんながやっているギャグのフレーズなんかで
志ん生が発明したフレーズってたくさんあるわけですよね。
でね、それはそれを習い覚えた人が
使って良いという許可を得てるか得てないかはさておき、
使ってる。でもそれは、落語の魅力じゃなくて志ん生に魅力なんですよ。
志ん生って人はすごかった!ってことであって・・。

蒲田
それを字面だけコピーしても意味がないって話ですよね。

広瀬
そうですよね。「時そば」っていう話が面白いのは、
小さん師匠がそうやって作ったからだし、
それをやっている小三治さんが面白いからだってことですよね。

蒲田
ということは、じゃあこれから落語に触れたいたいとか、
本当にビギナーみたいな人に対しては、「落語」というよりか「落語家」 

広瀬
だと僕は思うんですよね。
ヘビーメタルを聴いてみたい人に、
じゃあまず「ジェット・トゥ・ジェット」を聴いてごらんなさいとは
言わないと思うんですよね。
あるいは「ガールズ・ガールズ・ガールズ」って曲があるから
それを聴いて!じゃなくて!!

やっぱりモトリー・クルーとか、
イングウェイ・マルグスティーンとか具体名が出てこないと、
意味がないし、パープル・ヘイズならパープル・ヘイズっていうのを、
これはジミ・ヘンドリックスがやったのと違う風にやる人がいて、
それが面白いかもしれない。
それは演者次第であるのと同じようにですね。

誰を聴けば面白いのかな?ってのも、
それもでも々アーティストでも名曲と駄曲があるじゃないですか?
それはディープ・パープルだって
何枚目から聴くかによってエラい違いがあると思うし。
だから、談春を聴いてみたら?って1回聴いて「
面白くなかったな・・。」と思ったら、
もし好きになってみようかな?と思う気があったら、
もう1回ぐらい聴いてみた方がいいんですけど。

でも、なんとなくこれは落語家さん達も皆さん言うことですけど、
「なんとなく虫が好かない」ってことがあるじゃないですか?
この演者の歯並びが嫌いだ!とか笑い方がちょっと嫌だ!とか、
それこそ声が嫌いだとか、そしたら無理に好きになる必要は全くないんですね。
自分が好きになれるタイプのものを探して、
別に無理矢理探す必要もないんですけど。

でもあえて言うなら、僕たちは好きな人がいるから、
「この人面白いよ!」って熱心に勧めます。
「これ聴いたら?」ロックファンがそう言うように。
もううるさいんですよね・・(笑)
家族にお兄さんとかお姉さんとかが
ロックファンだったら「これ聴いたら?」って
必ず言うと思うんですよね。

それと同じように落語ファンにも「これ聴いたら?」って言うから、
じゃあそんなに言うなら聴いてみようという時には、
まず自分にあった人を探すって言うことだと思います。

蒲田
そのための評論であるべきだしってことにもなってくる。

広瀬
そうですね。「『芝浜』が面白いよ」って言っても意味がなくて、
○○の「芝浜」は聴いたら面白かったってことでいいと思うんですよね。

蒲田
落語家ありきでっていう部分でないと、
それは進んで行かないというわけですね。
今の社会に即したお話もお伺いしたいんですけど、
今、日本が置かれているこの状況の中で「落語家」とか
あるいは「落語」でもいいんですけど、その見る人・聴く人に
与えうる事って何ですかね?

広瀬
週刊ポストっていう雑誌で連載していて、
そこでもちょっと書いたんですけども、
エンターテイメントっていうのは、人の心をポジティブにさせる
効果ってのは絶対あるんですよ。
逆に言うと、ロックコンサートなんかを
扱ってる側としてはちょっと言い難いことなんですけど、
やっぱりその大音量を出す、
大勢を集めてものすごい照明を使ったりするっていう
それってものすごい電力使うじゃないですか(笑)

でも電力を使ってもでも元気を与えるエンターテイメントであれば、
ヘビーメタルのコンサートもどんどんやるべきだと思うし、
戦後、「新作落語ブーム」が起こったってのもそういうことで、
ただもう明るい話題が欲しいっていうのは、あったわけですよ当時もね。

打ちのめされてたけど、明るさが欲しい!
それは今、落語はものすごい省エネな、電力をあまり使わないですよ。
それこそ談春さんとか真っ暗にしてやったますからね。
会場を暗くする。客席を暗くしてやるのは、小朝さんが始めて、
志の輔さんがやって談春さんもやってて。

談春さんなんかの場合はおそらく、観客席をあまり気にしたくないからってのは
あるのかもしれないですけども。
本当に、客席は真っ暗にしても出来る。
じゃあ、舞台の上はどうか?っていうと、
舞台の上も別にバンドもいらないし、
ひとりだけだから、小規模で出来るわけですよ。

大勢でないと、大勢のギャラがいらない分、
興行ってやりやすいじゃないですか(笑)
だから簡単に成立する興行だから、あちこちでできるし、
ものすごい人気者だからって、でもどんどん呼ぶことは出来ますよね。
一部の人を除けば、やっぱりどんどん呼べる。

落語みたいなものってのは、これから夏もそうですけど、
電力不足だって言ってるようなときとか、なんだかんだで、
なんとなく「変わっちゃったねぇ」っていう印象があるじゃないですか。
3月11日以降、それまでとは。

そういう時に、僕なんかは落語の効能っていうのは、
僕のすすめで落語好きにどっぷりハマっちゃった人たちは
みんな言うんですけど、本当に日常会話の全てに
落語は当てはまるんですよ。日常の全てにね。

なんかがあったときに、これってあれだよね!って
必ず何かが出てくるんです。
でもそれ知ってる人同士の間だと通じる会話で、
なんかでも、それひとつ「落語で言うとこれじゃん!」ってわかったときに、
とてつもないショックなことでも、ちょっと明るく受け止めれる。
ちょっとクスッと笑えたり、苦笑ですけどね。

落語っていうのは、人間の愚かな部分・ダメな部分を肯定するので、
だから落語にはヒーローってそんな出てこないし。
「ダメな人たちだっていいんだよ!」って言ってる。

あと、ものすごく貧しい人たちが主役になってるのが多いですよね。
そういうことも含めて、自分の日常と比べたりすることが
出来るようなネタとして落語を知っていると、
すごく生きるのが楽になりますね。本当になりますよ!

これからいろんなところで大変なことって多々あるんですけど、
あると思うんですけど。
「お前なんかにわからない!」っていうのは、
それぞれお互いにあると思います。
お互いに「俺のほうが大変だ!」っていう人はいっぱいいると思いますけども、
まぁこれも「落語で言うとあれだよな・・。」って
自分で思い浮かんじゃって(苦笑)みたいな感じ。
そういう感じになればですね、
そういうことの出来る芸能っていうのは、ちょっとね
他にないなって気はしますよね。

そういう意味では、落語はスペシャルですね。

蒲田
生きる上でのメタファーみたいなのが、満載なわけですね。

広瀬
満載ですよ!!本当に僕、震災の日も「こうだ!」って思ったし、
「これってこうだよなー。」とかって。
あれ以来、いろんな時に思いますね。
生きるのが楽になりますから。っていうのはあると思います!

蒲田
震災直後は、お笑い自粛みたいなムードもあったりしましたけど、
やっぱそれではなく、そこにこそ見い出せるものがあると。

広瀬
災害が起きた時に「笑うと不謹慎だ!」って
言われてもなぁ・・。ってことは、
正直誰だって思うと思うんですけどね。
今苦しんでいる人がいる時に笑っちゃいけなかったら、
それ日本だけの話じゃないわけですから、
世界中のどこかで苦しんでいる人はいるわけだから、
それをなんとかしないと、いつまでたっても笑えないですよ。

でも日本人だから、日本人が被害を受けている状況に対して、
ニュースとかでよく「日本人の乗客はいませんでした。」
だったらいいのか!!って話でしょ!!

外国の方は亡くなってもいいんですか?そんなことはないですよね。
っていうのを無理やりこじつけて言うと、
日本人がどういう状況にあろうと笑っちゃいけないって不謹慎だって言ったら
なんか窮屈なだけですからね。

それで自粛って考え方は僕は間違っていると思いますし、
不謹慎なことって別にあると思うんですよね。
この状況下でそんなことしてていいのか?っていうことは、
皆さんそれぞれ思い浮かぶことってあると思うんですよ。
国に対してもね、行政に対してもあると思いますけど。

そういうことと違って、娯楽・エンターテイメントっていうのは、
いつも庶民の見方ですから、我々にとっては生きる糧で。
それをやってる人たちが不謹慎じゃなくて、それは仕事なんで、
「仕事してたら不謹慎」って言われたら、
「じゃあ何すりゃいいんだ!」ってことになりますから。

自粛するのは全く意味が無いと思いますし、
嫌がる人たちのところに行って
「さあ笑え」っていうのは、それは嫌だと思いますよ。
被災者の方が、「暇だろうから、落語やりにきたぜ!」って、
そんな上から目線で押し付けられても、それは嫌だし。
自分で楽しむ手段として、それぞれ持っていたらいいと思います。

あくまでも落語っていうのは、落語というものであって
落語そのものでなくて、落語という形式に演者の魂が入った時に
はじめて「生きた落語」になる。

これは歴史的にずっとそうで、落語という芸能はそうやって始まったし、
目の前にいる同じ環境の人たちに対して語りかける芸能として発祥し、
発展し、受け継がれ、そのような形で今も続いているはずのものなので。

その人が何を言うか?ということも大事には違いないんですけども、
「この人は今日は何を言ってくれるのかな?」と思わせる人が、
「今日は面白い話をしてくれたね」「今日は泣かされたねぇ」とか、
「今日はなんか釈然としないけど、
やっぱ人間ってあんなものかなぁ?」って
深く考え込まされたりね。

その人が何をやってくれるか?っていうことだから、
それはライブでなければ意味が無い。
もちろん、目の前だけが意味があるってことじゃなくて、
CDで録音されたものとか、DVDも僕いっぱいもってるし観ますけど、
それはもちろん大事ですよ。

それはいいことだと思うんですけども、
出来ればライブで観た方がいいっていうのは、
プロ野球なんかテレビで観るのと球場で観るのと
ぜんぜん違うじゃないですか!!
スポーツって本当そうでしょ!
スポーツってテレビで観てるとなんかよそ事で冷静に
「何やってんだ」みたいな感じで観れるけど、
球場に行ったら、カーン!って音がしただけで、
「おっ!」と平凡なレフトフライなのに興奮するみたいな。
ライブの面白さってそこなんですよね。音楽ももちろんそうだし。

ライブとして始まり、ライブとして発展したきた芸能は、
ライブに全てがある。
もちろんそれを切り取った部分に意味がないわけではないけれども、
全てではないと言うことですね。

蒲田
一番最後にもう一つだけ聴きたいんですけど、
「落語愛好家」として今後の落語、これからの落語とか
まぁ評論でもいいです、その落語あるいは落語評論に期待することは?

広瀬
あーー、期待すること・・。
落語って言う芸能がですね、
もう普通にそこに存在するような状態が出来た今ですね。
あまり特殊なものとして考えない方がいいなと思いますね。
で、ともすると落語の世界って狭いから、
評論をする人も狭い中から出てこないから、
どんどん内輪に向かっていくんですけど。

でも90年代の終わりくらいに「落語ってどこでやってんの?」っていう
レベルではもうないはずなので、
落語は普通にエンターテイメントである。
映画とか演劇とか伝統芸能でいうと歌舞伎とかも含めた
あらゆるエンターテイメント、音楽もそうだしっていう中の
一つの選択肢に過ぎないのだと。

だから放っておくとお客さんはもっと面白いものの方に行っちゃうし、
でも本当は面白いんだからもっと観てほしいなって言う気持ちで。
演者の方も、成功している落語家さんはみんなそうですけれども、
お客さんは落語マニアっていうよりは、一般の人に観てほしいと思って、
どうやって観てもらおうかと考えた人は良い落語をやってるし、
そういう人がもっと増えていくべきだし、増えてきてると思いますから。

あとは評論する側はそういう人たちを「ただ、ウケ狙いだ」とか・・。
今もあるんですよね「ウケ狙いでやってるだけだ」とか「上手くない」とか
「あんなのどこがいいんだ?」とかっていう足を引っ張るような評論って
まだまだものすごく多くて、
「なんで足を引っ張るかなぁ?」っていう。
面白いものを面白いっていってる人に対して、
もっと面白いものがあったら、もっと面白いって言えばいいのに。

それは僕は期待するのは、
足の引っ張り合いのしない落語界になって欲しいなと思います。

(了)

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