今回は、
2011年7月17日(日)ラジオ版 学問ノススメ
『コクリコ坂から』監督・宮崎吾朗さんの
回を起こしたいと思います。
今回監督した『コクリコ坂から』の話題を中心に、
監督になったいきさつ、父親・宮崎駿、スタジオジブリ、
また制作途中に発生した東日本大震災について語られています。
音声はこちらから
蒲田健(ナビゲーター。以下、蒲田)
まずは改めて監督自らの言葉で、この映画のイントロダクションというか
どういう話なのかというのをご紹介頂いたとするとどうなりますか?
宮崎吾朗(以下、吾朗)
何か上手く言えない映画なんですよね・・。
まぁあの1963年っていう時代を舞台にしてますけども、
その時代生きた女の子と男の子の恋愛物語って事になってますけど。
むしろその彼女、海ちゃんっていう女の子ですけど、
海ちゃん達だけじゃなくて、彼女の両親がどう生きていったかも含めての
親子二代にわたる恋愛物語って感じになってますよね。
63年っていうと戦争が終わって18年?
そうすると彼女たちのお父さんお母さん達が
彼女たちと同じくらいの年だったっていうのは、まさに戦争中なわけなんですよね。
で、その頃たぶん両親が出会って、戦後結婚してっていう
そういうことだと思うんですよね。
そのことによって、実は彼女たちのある影響が及んでいるっていう
それがその物語のある軸にもなっていくので・・。
蒲田
今回、監督をすることになった経緯っていうのは、どういったところから?
吾朗
経緯ですか(笑)
まぁスタジオジブリとして珍しく、長期計画?
だいたい何も考えずに2年に一本作ってく(笑)
っていうのが今までのぺースだったんですけど。
5年で3本作る、そのうちの2本を3年で作るっていうのが・・。
それだけなんですけど(笑)
それが計画で、最初の1本が去年の『借りぐらしのアリエッティ』
それを若い監督がやる。「さあ次!」ってなった時に、
「吾朗君、当然やるんだよね?」っていうふうにプロデューサーにも
言われたんで、まぁやることになったんですけども。
蒲田
じゃあ当然、「やりなさいよ」的なプレッシャーがじわじわ来てた?
吾朗
もう5年も前になりますけど、『ゲド戦記』っていうのを
初めて監督して、でそっから僕ちょっと逃げ回ってるっていうね、その後(笑)
それをやったはいいけど、その後自分でどうしていいのか分かんなくなっちゃって
で、『ジブリ美術館』とかに逃げ帰って、身を潜めてるっていうね・・。
蒲田
だけど、そろそろ逃げ切れなくなっちゃった・・。
吾朗
ええあの、プロデューサーに「いい加減にしろ!」って言われてですね(笑)
蒲田
まぁまぁまぁ(笑)そういった事情もありつつということで・・。
今回その『コクリコ坂から』は、原作は元々は少女マンガだそうですね?
吾朗
そうですね、少女マンガですね。
『なかよし』っていうね月刊誌に掲載されてたんですけど。
80年代?80年くらいですかね?
結構前ですね、僕が中学生くらいの時だ。
蒲田
その原作というのは吾朗さんご自身は知ってたんですか?
吾朗
知ってました。
そもそもがですね、僕の祖父が本当にあばら屋みたいな小っちゃい山小屋を持ってまして、
毎年夏になると、僕とかいとこ達が遊びに行くわけなんですけど。
そこに2,3歳下のいとこの女の子が『なかよし』をいっぱい持ってきたんですよ。
家に置いておくとお母さんに「捨てなさい!」って言われるんで、
捨てたくないんでその山小屋に持ってくるっていうね。
山小屋にはほとんど写らない白黒テレビとかね、新聞もないし、何もないんで、
暇になるとみんなでそれ読んでるって言うね。それがはじめだったんですよ。
実は、同じ雑誌を宮崎駿も読むっていうのが、きっかけだった。
その時分は、僕もう大学生くらいになってましたけど。
その夏、映画終わって暇になったら宮崎駿はその山小屋行って、
で、やることないじゃないですか?そしたらマンガ読んで、
そこにこうみんな友達が遊びに来るっていうんですかね。
今皆さんが知ってるので言うと、押井守とか『エヴェンゲリオン』の庵野さんとかね。
そういう人たちが集まって、そのみんなで少女マンガを読んで(笑)
連載ものなんですけど、全部揃ってないわけですよ。
途中しかないわけですよ、月刊誌。
でこのマンガの最初はどうなってるか?この後どうなるか?
それをみんなで話し合うっていう(笑)
蒲田
ああ、話し合っちゃう!
それを見つけてくるとかじゃなく(笑)
吾朗
そうそうそう。見つけてくるんじゃなくて(笑)
それがあの映画になるか?ということも含めて、みんなで激論してるっていうね・・。
で、何年か後にですね、じゃあっていうことで、
若い人が隣町まで行って、その単行本を見つけてきてですね。
それを改めて宮崎駿が読んでですね。怒るっていうね。
「俺が考えたストーリーと違う!!」って(笑)
そういう作品だったんですよね。
蒲田
これは少女マンガとしてはメジャーな作品だったんですか?
吾朗
やっぱ当時としてはあんまり人気が無かったんですよ。
当時の少女マンガ雑誌っていうと割と他愛もないもの?が多かったと思うんですよね。
その中ではその高校生の女の子が出てきて、そこにその学園紛争みたいなね
要素も入ってくるし、なにしろ出生の秘密みたいなことも入ってくるし、
ちょっと大人っぽいっていうんですかね?
少女マンガなんだけど、原作は男だろうっていうね。
そういう匂いのある作品だったんで。
蒲田
それが宮さんのクリエーター魂をくすぐっちゃうみたいな。
吾朗
だからこそ目に付いたっていうのは、あると思うんですよ。
蒲田
しかも山小屋にずっと置いてあるから、みんなじっくり熟読せざるを得ないしみたいな。
吾朗
毎晩読んでるみたいなね(笑)
蒲田
しかも作っちゃうみたいなね(笑)
でもそうすると、それだけじっくり熟読して読み込んで、
思い入れもあるという作品になって来ると思うんですけど、
そうなると制作はスムーズに進行っていう?
吾朗
いやもう、全然そうじゃないです。
「『コクリコ坂』やるっていう話になったから」って言って、
「吾朗君やるよね?」って言われて、「はい」とね。
シナリオ確かに読むとまぁ、宮崎駿が4ヶ月くらいかけて書いたもの
確かに面白いんですけど、テーマがわかんないって言うんですかね・・。
何のお話なんだろう?ってね。
単純にその女の子と男の子の初恋物語をやってるわけではないですよね。
そこに別の要素もいっぱい入ってきてるわけですけど。
何が中心になってるのか?っていうのがね、絞れてないんですよ。
でそれを探さなきゃいけないっていうので、ものすごい苦労した。
蒲田
描くべきものがかなり茫漠としているというか、見えない?
吾朗
見えない、あと時代設定がその80年代から63年に変えられている。
でなおかつ、海ちゃんのお父さんは戦争に関係して
亡くなったって事になってるわけですね。
そうするとシナリオ読んだ時に感じたのは、すごく戦争の匂いがする。
そういうものをどう扱うのか?っていうことも
含めてものすごく悩むって言うんですかね・・。
だから、作ってる途中もまだ掴み切れて無くて、探し続けるっていうね。
そんな感じでしたよね。
蒲田
まぁ今回、企画・脚本が宮崎駿さんなわけなんですけど、
人をこうる心と初々しく描く・・。
「こうる」っていうのは「恋する」っていう事でしょうけど、
これがひとつキーワードになってかもしれませんけど・・。
これがやっぱり吾朗さん的にも悩みの種の源みたいな?
吾朗
あああ、っていうのはありますよね。
「あの人好き」って言うことだけをね、やれば人の心をこうる事を
描いたことになるかっつーと、たぶんならないんじゃないか?っていう・・。
蒲田
それはあくまでも一面・・。
吾朗
一面っていうんですかね。
やっぱり恋愛ものっていうのはね、「純愛ブーム」なんて形で、
この間たくさんありましたから、その純粋な恋愛とかねいうものを、
やるのはどうなんだ?っていうね。
そこがやっぱり悩みの種って言うんですかね。
蒲田
いわゆる純愛ものをまっすぐ、ストレートど真ん中じゃあ・・。
吾朗
っていうことをやっても、たぶん誰も見てくれないだろうっていう(笑)
それは結果的にほとんど出来上がってから感じるっていうのは、
単に誰か好きって事じゃなくて、「人を思う」みたいなね。
それはその自分の両親を思うことでもあるし、友達同士を思うってことでも
いいかもしんないし、両親だって自分の子供たちを思い、
自分の友人を思いっていうそういう関係で人の関係って成り立ってるじゃないですか?
それをひっくるめての話なんだろうと。
蒲田
じゃあそこで完成にまで至って、
今振り返ると、あらためてご自身でもそうかな?っていう・・。
吾朗
やっとそうか!って自分で分かるって言うんですかね(笑)
蒲田
「思う心」、面影みたいな感じかな?って感じもしますね。
吾朗さんの思う今回の作品に込めた思いを
象徴的なシーンとかセリフみたいなのって存在しますか?
吾朗
色んな要素が入りすぎてて、自分でも「ここです!」って言えない感じが・・。
蒲田
確かに「この場面だけ!」って言えない感じじゃないですよね。
色んなところに散りばめられてある感じがする。
だから象徴的なシーンはね、最初の出会いのシーンだったりとか、
告白のシーンだったりとか、色々あるんでしょうけど・・。
吾朗
変な話ですけど、出来上がりつつあるものを見てて、
自分でこう「良いなぁ」って思うのってね、
海ちゃんが物思いに沈みながら、夕ご飯作ってて
後で妹とか下宿人がキャーキャー話してるっていうね、
なんかそういうとこが・・。
そういうとかが何で良いんだろうとか自分では分かんないですけどね。
そういう合間合間のシーンとかカットとかが印象に残るなぁっていうね。
蒲田
でもやっぱりそれはさっきのお話の中の「人を思う気持ち」みたいな部分が
そこにちょっと投影されるとこってありますよね?
吾朗
ありますよね。
だからあとその一人なんだけど一人じゃないっていう気分とか・・。
そういうものが関係すんのかな?と思いますね。
蒲田
なるほど、なるほど。
じゃあその辺もね、じっくり堪能頂きたいと思いますけど・・。
あの、今回の企画・脚本:駿さんは、この出来上がったものに対しての
コメントっていうのはあったんですか?
吾朗
ええ、ありましたねぇ・・。
大雑把に言うと「○と×」っていう感じですかね(笑)
蒲田
ええ!○と×?かなり大雑把ですね(笑)
もうちょっと分かりやすく教えて頂いてもいいですかね?
吾朗
「良いところもある!けど、駄目なところもある!!」って。
「駄目なとこは、ダメだ!こらーっ!!」って怒ってましたけどね(笑)
蒲田
ああ、評価としてはどう捉えたらいいんですか?
吾朗
うーん、どうなんですかねぇ・・。
まあまあ良かったって事じゃないんですかね?
蒲田
まあ及第点頂いた。合格・・。
吾朗
だからやっぱりこう、「○と×」っていうんですかね・・。
ハハハハ(笑)
蒲田
はい、分かりやすいけど分かりにくいなぁ・・。
お父様と仕事をするっていうのは、
僕は基本的に乳と共同の仕事ってした経験はないんで、
塩梅が良く分かんないですけど、どうなんすかね?
やり易いとかやり辛いとか、そういうことは?
吾朗
やり易いわけ無いですよね。
もう、うるさくてしょうがない!っていうんですかね・・。
蒲田
でもやっぱりそこは、クリエイターとしてぶつかり合うみたいな感覚なんですか?
吾朗
例えばその絵作りっていうね、良いなぁと思わせる画面を作る能力でいうと、
ものすごい長けてるわけですよ。それこそ50年ですよ、その道でやって。
そうすると、「言われりゃ確かになぁ。」ってそれは良い画面になるっていうのは、
分かるっていうのはあるわけじゃないですか?
でそれとなんて言うのかな・・。自分がどう演出するか?っていうことはね、
またちょっと別だったりする。
だから良いところは貰いつつ、
そうで無いところは無視する?もしくは逃げる?隠れるとか(笑)
蒲田
赤の他人同士だったら、ちょっとそこでおもんばかる様なとこも
あるかもしんないけど、親子関係だと容赦なくぶつかり合うみたいな感じになってくんですか?
吾朗
ああもう作るっていう現場においてはですね、
親子であろうが他人であろうが関係無いですからね。
蒲田
でもより厳しくなるみたいな部分は?
吾朗
厳しくなるっていうか、持って回ったこうね、パンチが飛んでくるみたいなね(笑)
蒲田
かなりどストレートに来る感じですか?
吾朗
結構来ますよ。それをどうやってかわすかみたいな(笑)
蒲田
それは、「ああ、来るなこれは!」みたいなとこで、
ヒョイッとこう寸前で。
吾朗
だから僕らがこう準備するための小さい部屋で作業をしてるんですけど、
なんか、たまたま通りかかったって感じでね部屋入って来るんですよね。
「なんか、やってんのか?」みたいな感じでね。
絶対見に来てんのわかってるんですよ。で、毎日来てんですよね(笑)
で、ある時期にプロデューサーに
「もうここでやったらたね、先に進まないから逃げろ!」って言われて、
スタジオを出てですね、あるマンションの1室にこもってやるっていう(笑)
蒲田
そうか、その辺の駆け引きもね結構重要ですね。
今回の映画の制作の終盤には、東日本大震災が起こったわけですけど
今回の震災が映画作りに及ぼした影響、映画そのものでも良いんですけど
どうでした影響っていうのはあるんですかね?
吾朗
映画の内容に関わるっていうことは、なかったですよね。
それはもうタイミング的にもう制作も終盤だったので、
そっからその内容に関しては無いですよ。
ただその実際、停電があるとか無いとか話もあって
制作が止まっちゃうっていうねことにもなって、
逆にその事で「なんとかしなきゃ!」っていう感覚がスタッフに生まれて、
終盤ものすごいマキが入るっていう事はありましたよね。
それよりやっぱり大きいのは、地震の前と後とで自分たちが作ってるものの
自分たちが作ってるんですよ、自分たちで作ってるものの見方が
自分たちで変わっちゃうっていうんですかね・・。
「あれ?こんな映画だったっけ?」っていうね
自分たち自身の映画の見方が変わるっていうんですかね?
っていうことの方が大きかったです。
蒲田
それはもうほぼ出来上がってるものに対して?
吾朗
対してですよね。「ああ、そういうことがあるのか!」っていうね。
まぁ海ちゃんっていう女の子が下宿を切り盛りしてる女の子なんで、
徒然に料理をしたりとか、みんなで飯を食ったりってシーンがあるんですけど、
そういうシーンがですね、思わぬ形で印象的に見えたりとかね。
あとその海ちゃんの両親の歴史があって、そこで彼女がいるっていうことを
非常に重く感じたりとかっていうことはありますよね。
蒲田
確かにじゃあそれはもう本当に物語がもちろん変わってるわけではない。
吾朗
ないんだけど、自分たちの受け止め方が変わってくるっていうか・・。
蒲田
見る側の心情が投影されるわけですから、そういう見方になってくる、うーん。
吾朗さんご自身の震災そしてその後の原発事故等ありますが、
その見方というのはどうですか?
吾朗
天災っていうことであればね、それはやっぱり受け入れて
乗りこえることが出来るだろうと思うんですね。
実際被災された方たちにとってみれば、大変ですから。
「そういうもんですよ」って言う気は無いんですよ。
原発っていうのは別のことですよね?
だからそれは日本人は同じ事を繰り返したのか?っていうね。
それは戦争と同じ。だから自分たちで招いた災厄だろうっていう。
それは自分たちの手でなんとかしなきゃいけない問題なんだろうっていうふうに
やっぱ思いますよね。
蒲田
日本または日本人を良い方向に導いて行く
まぁそういう方向に持ってくためにスタジオジブリだったり、
宮崎吾朗さんが出来ることとかやるべきことはどんな事だと思ってるんですかね?
吾朗
うーん、もう僕らがやれるっていったら映画作ることだけですからね。
自分も含めてね「何で映画を見るか?」ってね。
もちろん暇つぶしって事もありますけど、
やっぱりそこでその瞬間、現実をフッと忘れて軽い気持ちになったりとか、
励まされたりとか色々ある訳じゃないですか。
だから、映画って本来的には無くてもいいものですけど、
でも無くちゃ困るものでもあると思うんですよね。
「あの時あの映画見れて良かった」っていうふうに言ってもらえる
誰かの支えになれるようなね映画が作れたらなぁとは思いますけどね。
で、それしか僕らにやれること無いですからね。
蒲田
映画とかいわゆるエンターテイメント的なものっていうのは、
生きてく上での必須アミノ酸じゃ無いかもしれないけれど・・。
吾朗
無いけど、けど無くて良いかって言われると、
やっぱりあった方が。
それによって豊かになれるものでもあるわけで、
だとするんだったらそれを一生懸命やるしかないなと思いましたね。
蒲田
今回の映画の挿入歌がね、坂本九さんの『上を向いて歩こう』
まぁそれも震災と直接リンクしてるわけじゃないんでしょうけど、
でもやっぱりこれも結果的にこうグッとくるというか・・。
吾朗
もうね、本当にあれなんかびっくりでしたよね。
偶然の恐ろしさというか、まぁその『上を向いて歩こう』を選んだのは、
単にプロデューサーがね坂本九さんの大ファンだったっていう(笑)
まさに当時の中高生だったのが、プロデューサーなので・・。
蒲田
本当、誰もが知ってる曲ですけれども、
改めてこのタイミングで聞くとね、「思い出す春の日」とか、
すごい響くんですよね。
吾朗
そうですよね。なんかね「一人なんだけど一人じゃない」とかね。
「うつむいてんじゃなくて、上を向く」っていうね、なんかその感覚というか・・。
蒲田
そういったところも見る側の心境がそこに投影されてくるって
ことになりますね。
映画の話にちょっと戻りたいんですが、
主人公・海ちゃんが16歳ですね、俊が17歳。1コ違い。
まぁ微妙で複雑な心の動きという感じが細かに表現されてるわけなんですけど、
16歳、17歳高校生くらいの時、吾朗さんはどんな日々を過ごしたんですか?
吾朗
どんな日々ですかねぇ?
まぁ何にもないっていうんですかね・・(笑)
毎日学校行って部活やって帰ってくるっていうね。
蒲田
いわゆる普通の高校生?
あのでも、今回この映画を監督するにあたって、
当時のご自分の心情だったりとかここでは恋の話もメインなんですけど、
その恋の思い出とかもご自身の体験とかも投影されてるんですか?
吾朗
多少はやっぱあるでしょうねぇ。
好きな女の子と2人きりになれたって時に
並んで歩くわけじゃないですか。例えばね。
その時にどんくらい近寄れるか?っていう問題があるわけで。
いきなりペタってくっつけないじゃないですか!
もの凄い緊張もしてるし。
そうするとね、間に1人分くらい隙間が空くだろうな?って(笑)
なんかね、そういう感じっていうのは、
なんとなく思い出しながらやったのはありますよね。
蒲田
当然、もう40歳超えた今になるとその感覚は今はあまりないから。
でもそれは記憶の中から引っ張り出してみたいな感じなんですか?
吾朗
「自分はこうだったかなぁ・・。」って。
あと当時高校生だったおばさま達にいっぱい話聞くんですよね。
聞いたんですよ。
そうすると、今ほど人目を憚らずってわけじゃないので、
「そんな男の子と一緒に歩いていたら、もう次の日
みんなの噂になっちゃって大変よ!!絶対そんなこと出来ない!」って。
蒲田
一人分以上・・。
吾朗
以上ですよね。そうすると告白みたいなものは、手紙から始まってっていうね。
びっくりしたんですけどね。結構大勢のおばさま達が当時頂いたラブレターをですね、
未だに持ってるらしくて、読ませてくれるんですよね(笑)
それがね、ちょっと関心したんですよね。
大概万年筆で長文で途中に詩かなんか入っちゃたりして。
当時の高校生っていうのはねこうだったのか!と思ってそういうので少し関心したんです。
蒲田
そうかぁ。今はちょっとどうなんですかねぇ?
「メール削除」みたいになっちゃうのかな?
吾朗
なっちゃうんですかねぇ。
今の人よりも開けっ広げっていうんですかね。
直截なところはあるけど、一方でそうじゃない奥ゆかしさみたいなのもあって、
その感覚が初々しいというか、ものすごい良いなぁって思ったところがあったんで。
蒲田
当時のラブレターまだ保存してあるんだ・・。ビックリしますね。
吾朗
なんかねぇ。いや本当ビックリしたんですよ!
「良いんですか?こんなもの・・。」って(笑)
でも、「この人誰だか忘れた」っていうふうにね。
そこは大概ひどいな!って思いましたね(笑)
蒲田
あの・・。ほんと「良いんですか?」って感じですよね(笑)
まぁでもね、残ってること自体がすごい事ですけどね。
今回その子供から大人への途中みたいなのになってくると。
微妙な時期とも言えると思うんですけども、
その微妙な時期を描こうっていうのは、難しいものですか?
吾朗
難しさもあるなぁと思いますよね。
だって自分はとうにおじさんになってるわけで、
まさにその瞬間の人に比べたら、その感覚は無いと思うんですけど、
でも例えば自分の中でも、大人になりきってないなって思う部分って
いっぱいあるわけじゃないですか?実は。
それを引っ張り出してきて膨らますってことで
近づけたらなぁっていうのはあります。
蒲田
自分の中でのその部分のブラッシュアップみたいなのに
なってくるって感じですかね。
その辺は逆に楽しい作業でもある?
吾朗
「あういう気分だったよなぁ」ってとこに戻れることでもあるし、
ただ絵の方は不思議なところがあって、自分が若いなぁって、
「これくらいだろう」って描く絵がね、若くなかったりするんですよ(笑)
キャラクターデザインやった人がいるんですけど、
その人なんかも十分高校生だと思って描いてるんですけど、
どうみてももっと歳いった人にしか見えないっていうね。
自分が年取ってくと、若いってこれぐらいだろうっていうね、
その対象の年齢がどんどん上がってるっていうことに途中で気が付いて(笑)
自分が思っている以上に幼く描かなきゃいけないっていうね。
蒲田
面白い微調整ですね。
この作品は監督としては2作目ということで、1作目が『ゲド戦記』でしたが、
1作目、2作目って違いがあるもんですか?監督としては。
吾朗
ありますよね。
やっぱ1作目の方が気が楽というか。
本当に素人みたいな人間がいきなりやるっていう感じだったんで、
基本的には「これ1本でいいや。」って思ってたんですね。
次がないから、やりたい放題やってやり逃げになってもいいと思ってたんですよ。
だからその何て言うのかな?大概ね初めてやるってことにおいては、
そこに緊張は無いわけじゃないですか?ある意味。
でも2回目となるとそうはいかない。
「初めてだ」っていう言い訳は基本的には使えないわけで。
そうすると少なくとも前に自分が作ったものよりも
マシになってなきゃいけないし、そういう意味での自分に対するプレッシャーとかね、
自分が自分に勝手に与えるプレッシャーってのが大きかったですね。
蒲田
そうかじゃあ、更に大きなプレッシャーの中で完成に至った
『コクリコ坂から』改めて自己評価はどうなんですか?
吾朗
なんか思いも寄らないものが出来たっていう感じですよね。
アフレコっていって役者さんに声を入れて頂いてる時に、
「あれ、なんでこんな良い映画なんだろう?」って
ふと自画自賛してしまう瞬間があって!
ちょっとバカみたいなんですけど(笑)
蒲田
でもなんですかね?
それ自体だ一人歩きしてどんどん成長してるみたいな?
吾朗
ってところもありますしね。
本当に最後の最後まで、ああだこうだといじくりながら、
四苦八苦してたんで、その時初めてやっと何を作ってるのかが自分で良く分かったっていうね。
ちょっとその今までのジブリの映画ともちょっと違う感じっていうのもね、
色んな意味でありますしね。
蒲田
今後はどういう映画監督に?
吾朗
今回やってね、もう何回かはせめてやってみたいっていうね
っていう気にはなりましたよね。
最初の時ってやりたい放題やってるから、変な満足感があるわけですよ。
でもちょっと分かってくると、自分でも欲が出て来るっていうのがありますしね。
でもね、『コクリコ坂から』がヒットしてくれないとその機会がないんで(笑)
そこは是非なんとかなってくれりゃいいなって感じですけど。
蒲田
これね、これまでのジブリ作品とはちょっとひと味違うなってことを
おっしゃってましたけど、今後ジブリとしてはこんなジブリにしていきたいっていうのは、
あるんですか?
吾朗
ああー、それはね・・。
無いですね(笑)
こんなジブリっていうのは、無いんだと思うんですよ。
まあねスタジオジブリっていうのは、宮崎駿と鈴木敏夫が2人でやってる会社ですからね。
その2人が決めていくんだろうと思いますけど。
これなら作るに値するなって企画があって作りたい人がいれば
そこで映画を作り続けるっていうことでしかないと思うんです。
どっちかか両方が亡くなったら、その時はスタジオとして終わりって事だと思うんですよ。
蒲田
逆にでも、それが有り続ければどんどん進んで行くだろうと?
あの今後いよいよ公開になった『コクリコ坂から』ね、
ヒットも祈願しつつ、是非多くの人にメッセージを頂きたいんですが。
吾朗
今回は色んな縁とか運に助けられて、ここにたどり着いたっていうね感じがします。
だから自分でも上手く言えないんですけど、ある意味ね「女は強い!」っていう
映画でもありますしね(笑)
「男はバカだ!」っていう映画でもあったりね、そういう側面もあれば、
特にあのラジオだからアレですけど、今回特に音楽が良かったっていうのも
ありますんで、手嶌葵ちゃんの歌とか、武部さんの音楽っていう曲って事も含めて、
色んな楽しみ方の出来る映画でもあるなと思いますので、
是非ご覧になって下さい!
蒲田
手嶌葵さんもね、『ゲド戦記』のイメージだと儚げな感じ一辺倒なのかな?
なんて僕はちょっと思ってたんですけど、今回のどあたまのあのポップな感じ。
明るい感じがすごい!
吾朗
やれば出来るじゃん!!っていうね。
俺も5年間サボってたけど、葵ちゃんもサボってただろ!!っていうね(笑)
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