今回は、
2012年1月17日(火)小島慶子キラ☆キラ
オープニングトークを起こしたいと思います。
音声はこちらから
小島慶子(以下、小島)
あのー、本当はさぁテレビ番組っていうのは
録ったらなるべく早く観た方が良いのかもしれないけども。
堀井憲一郎(以下、堀井)
自分で録画したものね?
放送局側が録ったものでなくて?
放送局側が録ったものは早く放送した方が良いと思うけど(笑)
小島
忘れちゃうから・・。
自分がね、録画しといたものを。
やっとね、日曜日の夕方に観たんですよ。
息子が観てたんで横で観てたんですけど。
1月2日に放送したNHKスペシャルの「エベレスト」
大型ハイビジョンカメラを担いで、
登山班とか呼ばれる山登ラーたちがたくさん集まって(笑)
登山に強いカメラマンがNHKにはいてね、
5人の取材班、4人のカメラマンと1人のディレクターで
シェルパの人と総勢15人でてっぺんまで登ってね、
大型ハイビジョンカメラで録るっていうスペシャルを観たんですけどね。
私、元からね山に登ることについてとっても不思議だったわけ。
だってさ、盛り上がってないところ通っていけばいいんだけど。
わざわざ盛り上がってるところの上まで苦労して登ってさ・・
堀井
いやいや、あの人たち向こうに行こうとしてんと違うからね(笑)
富士山って行ってさ、そのまま山梨県まで抜けないでしょ?
静岡県にまた戻ってくるでしょ!
小島
なんで盛り上がってるところにわざわざ登って降りてくるんだ?
しかもほらちょっと遭難したりすると山岳救助隊の人の命まで
危険にさらしたりしなきゃいけないから、
「なんでそんな事までして登るんだろう?」って思いがどっかにあったんですけどね。
でも見始めたら、息子の横で。
まず映像が綺麗でねビックリしたんですけど!
今までエベレストの色んな映像とかあっても実際に登っている人が見ている風景に
極めて近い感じの映像っていうのはそんなに残ってなかったみたいで。
今回はエベレストの有り様も映るんだけど、
登ってる人たちのカメラマンたちの様子もだいぶ映っていて、
で1ヶ月かけて登るのね!
堀井
だってあれ・・そりゃそうでしょ。
宇宙行くみたいなもんだからね。
小島
高さに体馴らさないといけないから、
キャンプがいくつかあるじゃない?
1個目のキャンプから3個目のキャンプまでいったら、また1個目に戻って。
行っちゃあ戻り、行っちゃあ戻り、せっかく危険なところを
命がけで登ったのにまた戻りながらって、
ちょっとずつ体を高さに馴らしていって1ヶ月かけて行くんだそうですね。
で、エベレストって色んな人が登ってるじゃない?
だけど色んな人が亡くなってるわけで、
その亡くなった方々のご遺体が出てない方もいらっしゃる・・
堀井
高いところのものを降ろす方も大変なんで・・。
小島
降ろすに降ろせず、流石にそのご遺体の映像は映りませんでしたけど、
ただそれくらい厳しいところで登っていくのってすごい怖いよね?
自分でもそうなるかもしれないって思うわけだし。
実際、NHKの人たちが天気を気にしなきゃいけないから、
日本の気象予報士さんがエベレストの予報してるのね!
堀井
あ、そうなの?
小島
日本の気象予報士さんでエベレストの気候にすごい詳しい人がいるみたいで。
その人と連絡取り合いながら、エベレストのふもとから日本の気象予報士さんに、
「ここの天気どうなるの?」って聞いて、
それで「その日は登ると風が強いです」とか言われて、
「じゃあちょっと延ばそう」とか言って、それも驚いたんですけど。
それで日を決めるわけなんですけど、アタックの。
当初から延ばしている間に同じ日本人の登山家の方が亡くなったりして、
亡くなった方のご遺体をシェルパの方々がね、
降ろしてくるのが遠く、望遠レンズで見ると、見えたりして。
そういうのを山に登る人っていうのは、そういう中で「次は自分が登るぞ!」とかっていうのは
すごい心理だなって思ったんですけどね。
そんな思いをしていよいよアタックの日が来てさ、そうしたら見事に晴れたんですけど。
「すごいや!気象予報士!」って思いましたけど、その場にいないのにね(笑)
人の命がかかってるところの予報士ってやっぱちゃんと当たるんだ!って。
堀井
いやいや(笑)
コンピュータとかそういう技術がすごいんでしょうけどね。
小島
それで登っていくと、当たり前だけど
「あんな険しいところ登るの怖いよな!」って思ってたけど、
映像で見るとすごくって!
堀井
「怖いよな!」「険しいよな!」っていうレベルじゃないですよね。
道じゃないからね。
小島
もう凍ってる絶壁を真っ暗闇の中で登り始め、
明るくなってきて最後の最後にほぼ垂直の岩の表面を
自分でつま先を引っかけながら渡っていかないと
頂上に行けなかったりするんですね。
で、そういうのが克明に映っているんですけどね。
頂上に立った時の映像は、そのうち多分再放送するんじゃないかしら?と思うので
ご覧になったら素晴らしいと思うんですけど。
でも私、何が一番感動したか?その風景もそうなんですけどね、
山頂からカメラマンが大型ハイビジョンカメラをそこまでシェルパの方々と協力して
担ぎ上げたのをガシャっと設置してですよ、360度のパノラマをね。
そりゃ美しい!年に何日もあるかないかっていう良い天気の映像なんで
本当に美しい、国境なんかも全く超えた映像を見せてくれたんですけどね。
でもその頂上に立つまでのカメラマンの表情とか、
彼らが辿ってきた道とかいろいろ考えて、
その光景をみると「何が見えるか?」っていうとですね、
私がハッと思ったのが、
結局そんな思いまでしてよ、死ぬかもしれないし、
成功しないかもしれないしっていう思いまでして
何しにいったのかな?って思ったら、
「この世界は綺麗なところだから、僕はそれをあなたと見たい」っていうことで
登ったんだなって思って。
それでカメラマンっていうのはそういう仕事じゃない?
あなたがあなたの目で見ることの出来ないものを
僕があなたの目になって撮るよというお仕事なんで、
すごくそれが象徴的に分かりやすかったと思うんですけど。
ちょっとだけ山に登る人とか、まぁ何でも良いんですよ、小説を書く人とか、
絵描く人とか、写真撮る人とか、何かする人の気持ちって
「ああ、そうなのか!」って思ったのが、自分が見たいのは勿論なんだけど、
自分は「自分たちが生まれてきた世の中っていうのは良いところなんだ!」っていうのを
あなたと見たいという気持ちがどっかにあって、そのあなたが誰なのか?っていうのは、
もしかしたら人によったらはっきりしてるのかもしれないし、はっきりしないのかもしれない。
でも、自分が見たものをあなたと見たい、誰かと一緒に見たい、誰かに教えてあげたい、
誰かと分かち合いたいという気持ちがあるから危険を冒してそこに立ったりとか。
身を削るような努力を重ねて何かを表現したりしたっていうのがあるのかな?っていうのが、
その「エベレストに登る」っていうとっても具体的な行動と具体的な映像を伴って、
でも山頂で一番「ああ、良いなぁ!」って思ったのが
そこに登り付いた人の気持ちだったんですよね。
堀井
でもそれほとんどの場合は、登り付けるかどうか?っていうのはわからないですよね。
たまたまだから、それは成功した例なので
それだけを求めて登っているようには思えないですよね。
風景のために登っているとは思えない。
小島
ただその映像を観た時に、私はそのカメラマンのかたっていうのは、
そういう職業だからっていうのもあるのだけど、あの・・、
「放送ってそういうものかな?」って思ったんですよね。
堀井
ヘヘヘヘ(笑)
放送ね、放送のポイント?
小島
放送ってやっぱりなんか、あなたがどこにいるか分かんないしさ。
この放送だってそうだけど、あなたがどこかにいると思って喋っているけど、
本当は誰も聞いてないかもしれないし、あなたが誰かも分からないし、
あなたと思って喋りかけて、その方が「あ、自分にちょっとグッと来る話だな」とか
「ちょっと笑っちゃう話だな」と思って「うんうん」って聞いてくれたけど、
その2人が対面したら上手くいくとは限らないしね。
生身の人間関係で上手くいくとは限らないし。
すごく幻想と言えば幻想なんだけど、
でもどこかにそういう「ああ、良いよね」とか「面白いよね」っていうのが
通じ合えるあなたっていうのがどこかにいるんじゃないかな?っていうのが放送なんだな!
って思ったんですね。
それは別に小説でも絵でも何でも出来るんでしょうけど。
それでなんか自分の仕事を考えましたよ。
堀井
考えました?
俺とかだから、見えないあなたっていうのを想像することを基本的に遮断しているので、
良く分からない読者っていうのを存在させないようにしてますよね。
具体的でないと・・ものすごい分かってる具体的な読者か、読者は自分でしかないですよね。
小島
どっちかですか?
堀井
でないと弱い、書くものがどんどん弱くなるので。
小島
確かに、誰に向けて書くのかっていうことは
例えば落語の本だったらこの程度落語を知っていて、こんか感じの人々っていう・・
堀井
じゃなくて、コヤママキコに向けて書くんですよ。
うちの落語をよく知ってるこの娘、
あんまり2回しか連れてきたことのない奴に向けて書くんです。
こいつに向けて書くんです、確実に。
誰かじゃない!このレベルのこの人とかっていうことは絶対しないです。
小島
もう彼女なんだ。
堀井
彼女っていうか、その女の子ね。後輩の女の子に向けて書くんですよ。
そういうなのは、そこんところは。
だからラジオ・テレビメディアと文章メディアの差だと思います。
小島
でもラジオでもそういうふうに言ってる方もいる。
自分が具体的にね、自分のおばあちゃんに話しかけるつもりでね
話てるんだみたいな方もいらっしゃるから、
もしかしたら堀井さん型のそういう具体的にその人に向けて話しかける
そのメッセージの強さっていうのが
結果としてたくさんの人にも届く強さを持つんだっていう・・。
堀井
そうそう、それがだから経験していってそうなってくことですね。
初めの方が広く書いてて、途中から狭くなってくっていう。
「これで通じるんだ!」って思って。
小島
ああ、そういうなんか「あの人」っていうのは無いな。
堀井
ラジオだからね。
あ、文章?
小島
文章を書く時でも「あの人」っていう1人ではない。
堀井
特にまぁ普段漠然と書いてるけど、迷った時すごい絞るんですよ。
「どう書いて良いか?」分かんない時とかに。
迷ったりするじゃないですか?「これ分かんない」って。
ものすごい絞るの、そうすると進められるから。
いいんですよ。「誰でも聞いてくれるだろう」と、
ものすごい説得力のある話は漠然と書いてて大丈夫なんだけど。
ものすごい狭い道を通らないといけない瞬間あるじゃないですか?
山道でも誰かの顔を浮かべて歩いてるのかもしれないし、山男たちも。
その瞬間はすごい具体的なもので頼った方が
やっぱ心細いからっていうのはありますよね。
小島
登ってる時の最後の8,000メートル越えのところとかって、
本来、人が生きていけないようなところを登ってるから、
そういうとこ登っている人の顔ってもう何も観てないよね?
もうなんか必死に死なないようにってことを観るって、
こういう顔なのかな?って思ったけど、本当になんか自分の命のことだけ考えてるのか?
考えている事はわかんないけど、とにかく死なないようにっていうことを必死に
考えている人の顔ってこういう顔なのかって。
堀井
死なないようにって・・。
極限状態でのすごい状態ってね、山の話で時々聞いたりしますけど。
もう人じゃないですよね、動物ですもんね。
小島
でもちょっとだけ、あるもう亡くなった方なんですけど親しくしてた方が、
亡くなるちょっと前、ご病気はもうとても重くなっていて歩くのもしんどいというぐらいの時に、
お目にかかった時、その方は会うと必ず冗談を言って面白いおじさんだったんですけどね。
その方も誰の事も観てなかったなぁと思って。
ちゃんとご挨拶にいらして話もしてたんですけど、
いくらお話しをしていても、やっぱりその人一生懸命に自分の命というか、
自分の身体を見ていた。
で、「あ、とっても生きたいんだ」っていうの気持ちという感じだったので。
同じ顔ではなかったけど、そういうふうに「あ、この人はそういうことを見ているんだ」って
有るんだなぁと考えたりもしましたね。
堀井
その人は、山男と関係無い人ですよね?
小島
うん、それは全然山に登らない人で重いご病気になられたんでね。
そのことも思いましたけど。
とにかくハイビジョンで撮った360度のパノラマがとっても綺麗で、
360度のパノラマの中には当然ながら、登山の中も映り混んでてね
本当に山頂に立ったような気分で360度観られるので、きっと再放送もやるでしょうから。
「エベレスト」は本当に観て良かった番組だなと思ってね。
堀井
一瞬だけ観ましたけど。
「チャンネル変えて」って言われて変えました(笑)
小島
そのねぇ、誰に向かって喋るのかって問題は本当になんか、
「誰に向かって見せるのか?」「誰に向かって喋るのか?」
何のためにわざわざそんな・・放送なんかあったって無くたっていいわけだからさ。
堀井
あった方がええよー!
小島
じゃあ何のためにあった方がいいのか?
堀井
何のためやろねー?
無いと寂しい、少なくとも寂しくなるんで。
小島
何で喋るのか?っていうのは考えるよね。
「誰かが儲かるために喋ればいいのか?どうなのかな?」ってことを
本当に2011年に考え続けた1年でしたね。
堀井
悩みます、小島慶子!
小島
まぁそのうち皆さんにもちゃんとお話ししますけど。