ジャーナリスト・北丸雄二が語る『「CM上の演出です」に覚える違和感』

2013/02/20

クレーマー デイキャッチ リスクマネジメント 北丸雄二

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今回は2013年1月2日放送「荒川強啓 デイ・キャッチ!」
「デイ・キャッチャーズボイス」北丸雄二さんの回を
起こしたいと思います。

音声は、配信期限が過ぎたためありません。

強啓
んっ?これはどういうことですかね?

北丸
僕が帰ってくる度になんかいろんなことちょっと気づいて
「前回と違うな」と思ったんですけど。

今回帰ってきたら年間の宝くじかなんかのコマーシャルで
木村拓哉さんがいわゆる大きな花火を胸に抱えてですか?
わーってやってるとても勇ましい綺麗なコマーシャルがあったんですけど・・

強啓
あ、吹き上げの花火みたいなやつね。


北丸
筒を持ってるやつ。
それでそこの下にですね、「CM上の演出です」って書いてあるんですけど。
これ前、無かったですよね?このテロップ。

安東
ここ数年は、でもありますね。

北丸
数年になりますか?あんまり目立たなかった。
例えば「これは個人の感想です」とかっていうのは
インフォマーシャルなんかでもありますでしょ?

「これはCM上の演出です」っていうのは、
今回初めて気づきましてね。
CMの演出だろう・・CMは演出あるでしょ?
なんでこんな事をいちいち書かなくちゃいけないのかな?っていう

実はそういうテロップっていうのはアメリカから始まりまして
1949年といいますからもう60年近く前ですか?
60年以上前なんですけど。

いわゆるインフォマーシャルというのが始まって
番組の中っていいますか、番組自体としてコマーシャルをするんですけれども
それが「どこまでがコマーシャルなのか?」「意見広告なのか?」
それとも「局が支援している番組なのかどうかっていうのが
分かんないものですから。


だいたい15分以上に関しては「PAIED ADVERTISEMENT」
だというふうに言うんですよね。
つまり、広告料の支払われてる広告だって。

ドラマなんかでも「これはフィクションです」って言い始めたのもアメリカです。
そういう意味ではいろんなところで注釈をつけて
いろんなクレームが来ないようにするというのは
アメリカから始まったんですけれども。

日本でもそういうのはあるんですけど、
どんどんどんどんそういうのが多くて。
全て初めから言い訳と言いますか、クレームに対処して
予防措置としてそのいろんなものを言ってきて。

なんでこんなに言わなくちゃいけないんだろう?
私たち視聴者ってそんなに馬鹿かしら?と思っちゃったりなんかするんですが(笑)

これは一体・・それだけ日本社会っていうのが今、
みんなクレームに怖がっているのか?
それともクレーム自体がとても多いのか?ピリピリしてるのか?

それとあれですよ、地下鉄かなんか行きますとね。
みんなドカドカとぶつかってきたりする人も多いんですよね。
その時にとても不機嫌な顔をして何も言わずに歩み去ってしまって

そういう時に英語では「Excuse you」って言うんですよね(笑)
「Excuse me」って言わない人に対して
「お前さんを許してやるぜ!」みたいな意味で、そういう言い方をするんですけれども。

こちらの人はとってもそういうピリピリしてるというか
苛立っているというか・・そういう感じがしましてですね。

でもただクレーマーがそんなに多い社会っていうのは幸せなのか?っていう
問題はありますけれども、実際多いのかどうか?っていうのがよく・・。

安東
実は私、管理職に2年前になったんですね。弊社で。
でそのお客様からの電話を応対するっていう研修があるんですけども。


もちろん有り難い意見もたくさんありますけども、
やっぱり厳しい意見もたくさん受けました。僕自身も。

なので「多くなったのかどうか?」っていうのは相対的に
どこから比べられてるのか分かりませんけども。
強啓さんどうですか?多くなってるんですかね?

強啓
どうなんですかね?
確かに一つ一つに敏感に反応するようにはなっては来てますね。

安東
そうですね。
そう感じますね、日本にいてると。

強啓
だから消費者意識っていうんですか?
高くなってるのは確かでしょうね。

北丸
それはとっても良いことだと思います。
アメリカはものすごく・・凄いです、モンスターペアレントっていうのは
やっぱりアメリカ沢山いますし。
それからクレーマーも多いし。

ただし、そのクレーマーに対するその予防線というよりも
「そういうものはあるもんだ」というふうに認識しているんですね。
予防線を張ってクレーマーが無いようにじゃなくて、
「クレーマーが来たときに動じないように」っていう文化なんですよ。


まぁそれに対して過剰反応していると、どういう社会になっちゃうか?というと
いろんな事に予防線を張って、いろんな事を準備して
「何かが無い方がいい、無い方がいい」って言ってると
ものすごく何て言うんですか・・規制の多い・・
はっきりものが言えない・・臭いものにフタをした方が良い
みたいな社会になっていって・・

強啓
「自粛」ってよく言いますけどね。
縮こまっちゃってるんですよね。

北丸
そう、縮こまった社会。
何か悪いことが起きないように一生懸命ピリピリしながら生きていく
こういう社会がいいのか?それとも、
何か起きても良いけれども、悪いことが起きてもそれにちゃんと
きちんと堂々と対処する社会がいいのか?

これね、実はものすごく本質的な問題で
日本っていいますか、世界の近代社会ってのはですね
みんなそうやっていろんな個人の発言力が高くなってますけれども。
その発言力一つ一つに対して責任を伴う。

これ実は「権利」の反対、日本語で「義務」と言いますでしょ?
アメリカ社会っていうのは「義務」っていうのは「obligation」じゃなくて
「duty」なんですよ、「責務」なんです。

つまり個人として何かをきちんとやるという責任。
これが「権利」に対する対語なんですね。
その中から自分が個人個人としていろんな社会の問題に対してコミットしていく
(関わっていく)という社会なんです。

そういう意味では例えば、なんかものすごくクレームが来たとしても
それに対して個人として、社会の自立した個人として
どう対処するのか?というのがとても問われる社会。

そうするとクレーム自体がね、理不尽なクレームに対しては
きちんと言い返せる社会なんですよね。
そういう社会を選んでいった方が、もちろんアメリカといってもひどいところもありますし、
銃にものを言わせるというか、そういうところもありますけど。

そういう社会もあるんだけども、日本のいいところと
アメリカのきちんとした個人のきちんとものが言えて、
コミュニケーションが出来て、いいところを併せてね、
やってかないと、そろそろ日本も新しい自民党に政権が戻りましたけれども、
その時にいろんなことを自分たちで考えながら、やってく社会にしてかないと
駄目なんじゃないかな?という感じがするんですよね。

安東
番組のプロデューサーの仕事が昔は「クリエイティビティの発揮」
最近は「リスクマネジメント(危機管理)」って言われるぐらい
変わってきてるのはあるかもしれませんね。


北丸
「マネジメント」というよりもあれなんですよね・・
「予防線」というよりも、リスクが起こらないようにするんじゃなくて
起きて当然なんだから、それに対してどういうふうにきちんと対処していくか?という
そういう方を考えてった方がいいんじゃないかな?と。

強啓
あのね、地下鉄とか電車で僕「そうじゃないかな?」って勝手に思ってるのは
やたら注意をするんですよ。
「ホームを歩くときにはこうして下さい」「ドアの戸袋には挟まれない・・」
もう、分かったよ!っていうくらいものすごい・・。

北丸
「携帯電話に注意して下さい」ってそっちの方がうるさいですよね。

強啓
何故それやるか?っていうと責任回避なんですね。
「言ってますよ、ちゃんと注意しましたよ!
 にも関わらずあういう事故があったというのはこちらの責任ではありませんよ」と
何か言いたいのかな?と私思っちゃうんです。

北丸
分かりますけどね、それはね。

強啓
きっとそれはね、あういうふうに注意しているのに事故ったじゃないかって・・

北丸
だからそれは「予防線」なんですよ。
そういう心理は分かるけれども、そうじゃなくて
起こって当然なんだから、それにどうきちんと対処していくのか?
そういうふうなものを考えた方がいいんじゃないかな?
だから、コマーシャル上の演出じゃなくて、
それがコマーシャル上の演出だと分かってる社会というものを
作っていかないと。

まぁ私のこれも個人的な感想です(笑)

(了)

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