今回は2013年6月20日放送「荒川強啓 デイ・キャッチ!」
「デイキャッチャーズ・ボイス」山田五郎さんの回を
起こしたいと思います。
五郎
今月の初めにテレビの仕事で北海道ニセコ町に
行ってきたんですよね。
そこでね、町づくりと国際化に関して大事なことを
いっぱい教えてもらったんですよ。
ニセコ町っていうのはご存じの通り、札幌と函館の間ぐらいにあって。
「蝦夷富士」こと羊蹄山とかね、ニセコアンヌプリとか
そういう山があって。
スキーで大変有名でバブル期には
随分ブームになりましたよね。
そのニセコのスキー場っていうのは、
ニセコ町とお隣の倶知安町にまただってるんですけども
まぁそのうち半分を占めているのがニセコ町
ニセコアンヌプリとかニセコビレッジっていうのが
あるところなんですけどね。
このニセコ町は平成21年度の数字で言うと、
人口4,640人の小さな町なんですよ。
その小さな町に年間150万人以上の観光客が訪れると。
それはスキー客だろ?と思いきや!
強啓
いや、そう思ってましたよ!
五郎
思いきや!なんですよ。
その150万人の内訳を見てみるとですね。
冬・12月から4月までは59.5万人
それに対して夏・5月から11月が93.6万人と
夏が冬の1.5倍なんですよ。
強啓
えーーっ!夏の方が多いんだ!
あれ?いつ頃からそんなになりました?
五郎
実は1999年・平成11年を境に
ニセコ町の観光客は夏と冬が逆転したんですよね。
これが何故か?ということなんですけども。
その150万人のうち、宿泊客がだいたい66万人なんですけども。
そのうちの約4万人が海外からのお客さん。
で、主に台湾・中国・韓国・マレーシアといったアジア
それからオーストラリア・ニュージーランドといって・・
強啓
オーストラリアはけっこう有名でしたよね?
五郎
有名ですよね、多いんですよ。
あとはロシアとかカナダから来るんですけども。
数だけ見ますと、この外国人の観光客
宿泊客の6%に過ぎないんですけども。
長期滞在者とリピーターが非常に多くて
さらに移住してくる人も増えてるんです。
強啓
そうなんですってね!
五郎
そうなんです、このニセコ町の外国人登録者数って
2001年には3人だったんですけども、
これが急激に伸びて平成21年には103人!
だからまぁ人口4,600人に対して2%に過ぎないんですけども
この移住してきた外国人たちが実は町の発展に
大きな役割を果たしているんですよ。
先ほど言いましたように、夏にニセコに来る人が増える
この逆転現象のきっかけを作ったのも
そんな外国人の1人なんですよね。
オーストラリア人のスキーインストラクターのロス・フィンドレーさん
っていう人がいるんですけど。
(参考リンク)観光庁HP:観光カリスマ一覧 :ロス・フィンドレー
この人、20年前にスキーのために来て
現地の日本人女性と結婚しちゃって
そのまま定住しちゃった人なんですけども。
まぁスキーが専門なんだけれども、夏も人を呼びたいっていうんで
1995年にラフティング、いかだ下りありますでしょ?
急流下り、ゴムボートで下るやつ。
ラフティングなんかそういうサマーアクティビティを
コーディネートする会社を立ち上げたんですよ。
(参考リンク)NAC・ニセコアドベンチャーセンター
それで年間に夏だけ200人も来ればいいかな?って思ってたら
これがなんと初年度で1,500人
強啓
えーーっ!
五郎
やってみたら大人気!
これをきっかけにニセコ町の夏の観光客がドンドン増えて
その4年後の1999年に夏と冬が逆転。
今では同じようなサマーアクティビティの会社が町内に
20社以上あるんですよ!
強啓
あそこは夏でも景観はすごく良いし、
空気は綺麗だし、森林は鮮やかな緑だしね。
五郎
だから結局それがバブル崩壊後のスキー客の減少とか
リゾートホテルの破綻から町を救ったわけですよね。
この外国人の人たちは町の行政でも活躍してて
町役場には外国人居住者の窓口などに外国人スタッフもいますしね。
強啓
えっ!役場に?
五郎
はい、それでなんと去年ですよ。
去年はついに使わなくなった町の施設を利用して
北海道でも数少ない居住外国人のためのインターナショナルスクール
「ニセコインターナショナルスクール」を開講して
現在9名の生徒が通っているんです。
特に町の役場の中でもね、観光課
ここは7人のスタッフのうち4人が外国人!
で、リーダーもニュージーランド出身のポール・ハガートさんっていう。
強啓
役場職員が!
五郎
このハガートさんってニュージーランドでも観光の仕事してたもんだから
非常に・・僕が言うのも失礼だけど・・優秀な方で、
他にもオーストラリア・中国・韓国のスタッフがいて
職場ではみんなが日本で話をしながら、仕事を進めているっていう。
で、それぞれの母国の観光客を
誘致しようとしてるんですけども。
やっぱりその彼らがそれぞれの母国にアピールするニセコの魅力っていうのは
日本人から見るとけっこうごく普通のものだったり、
意外なものだったりするわけですよね。
例えば、ハガートさんは日本の普通の喫茶店が良いって言うんですよ。
あういう地元の人と交流出来るような
コミュニケーションの形態みたいなのも含めて素晴らしいとか。
片桐千晶(以下、片桐)
カフェみたいなのとはまた違うものがあるんですか?
五郎
違う人間関係があると、お父さんお母さんとの・・。
で、中国人スタッフの人は・・これ女性なんですけども。
ホテルのケーキバイキングを売ると。
あれはもう中国には無い大変素晴らしいものだ!と。
そういう感じで非常に活躍してるんですよね。
そういうところから教えられるところが非常に多くて。
まずは1つはその国際化っていうことなんですけどね。
国際化・グローバル化っていうのは、
何も海外に出て活躍することばっかりじゃないなっていう。
海外から日本に来てもらうのも
国際化じゃないか?っていうのはありますよね。
それから、いつも言ってることなんですけども。
そのために必要な言葉は別に英語とは限らないということですよ。
大事なのはコミュニケーション
つまりお互いを理解し合うことであって
言葉はそのための道具に過ぎないわけだから。
その道具は1種類ではないし、片方だけが用意する必要もない。
相手が日本語を話せればそれで日本語でコミュニケーションすればいいし。
お互いが片言の言葉と身振りや手振り交えて離しても良いわけですよね?
だから大切なのは言葉が出来るとか出来ないとかっていうことよりも
伝えたい内容と伝えたい気持ちがあるかどうか?っていうことなんだな
っていうのをすごく教えられましたね。
それからもう1つは、
その町おこしに関してなんですけども。
その町おこしにつながるような観光資源っていうのは、
地元の人にとって当たり前過ぎて
気が付かないようなところに実はあるんだと。
それを発見して活用するためには、
やっぱり外から来た人たちの目線とか意見を取り入れなければいけないんだ
っていうそれが一番だっていうことですよね?
それから最後に、これ僕すごく重要な事だなと思ったんですけども。
観光資源っていうとね、名所旧跡とかばっかりを思い浮かべがちなんだけど
本当に強い観光資源って結局は
その土地の自然風土とそこに暮らす人々なんですよ。
だから土地と住民自体が観光資源なんだなって。
例えば、名所旧跡があってもね。一度見たら終わりじゃないですか?
「じゃあ次はまた違うところに行こう!」ってなってしまいますよね?
だけど、そこで自然が気に入ったりとか
あるいは人と人の・・さっきの喫茶店じゃないですけども。
喫茶店のマスターと仲良くなって
その奥さんがやってる料理教室に参加したりなんかして・・
片桐
ああ、広がっていきますね。
五郎
で、「また来年も来ようね」ってことになるわけですよ。
それでリピーターが増えると。
その中で本当に気に入った人たちは移住して来ちゃうっていう。
そういうことに繋がっていくわけですよね。
僕、同じ事を前にもこのボイスのコーナーで言いましたけども。
新潟でやってる「越後妻有アートトリエンナーレ」のとき。
(参考リンク)wikipedia:大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ
あれもその「アートトリエンナーレ」をきっかけに
越後妻有に行った人が地元の人と仲良くなって
田植えの手伝い言ったり、稲刈りの手伝い行ったりしてるうちに
気に入っちゃって移り住む人が増えていくっていう。
だから、やっぱりそこが一番・・
人っていうのが何よりもの観光資源なんじゃないかな?っていうのは
改めて思いましたね。
大事なのは言葉でも施設でも無いですよね。
やっぱりその人のホスピタリティとか、来る人を拒まないで
受け入れて暖かく接してくれて「また来よう」と思わせてくれるような
そういうホスピタリティやコミュニケーションっていうのが
本当の観光資源であるし、町や国の財産なんじゃないかな?って。
強啓
そうですねー。
「あそこにもう一度行ってみたい!」「あの人たちに会ってみたい!」
っていう思いっていうのは一番惹き付けますからね。
五郎
これ意外に町づくりを考える各自治体が
忘れがちなことですよね。
それを本当ニセコ町に教えてもらいました。
強啓
ニセコにいって触れてみる必要もあるね、そういうのはね。
五郎
本当にびっくりするほど外国人来てますよ。
(了)