宮台信司が語る「『セゾン文化』を僕たちは誤読をしたということを問題にしているわけです」

2014/04/05

オシャレ オタク セゾン文化 デイキャッチ 宮台真司 荒川強啓 渋谷

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今回は2013年11月29日放送「荒川強啓 デイ・キャッチ!」
「デイキャッチャーズ・ボイス」宮台信司さん
回を起こしたいと思います。




荒川強啓(以下、強啓)
今日のテーマはこちらです。

片桐千晶(以下、片桐)
『おいしい生活』「セゾン文化」がもたらしたもの

強啓
「おいしい生活」と言いますと糸井重里さんによります
セゾングループの、西武百貨店のあの名コピー

今日は先日亡くなりました堤清二さんが創り上げた
「セゾン文化」についてお聞きしたいと思います。

セゾングループは特に70年代から80年代にかけて
出版・音楽・演劇・美術など様々なジャンルで
「セゾン文化」と呼ばれるムーブメントを巻き起こしました。

で、宮台さん早速伺いたいんですが、
「セゾン文化」これいったい何だったんとお考えですか?

宮台信司(以下、宮台)
ありとあらゆるですね、今日の文化的な動きの出発点です。
これはですね、マスメディアを見る限りは全く多くの人には理解されていない

まあ堤清二さんがね文人であったこととかね。
かつて左翼であったこととか、まあ書いてありますけど。
だから何だ?っていうことで全く意味がない記録ですね。

じゃあこれからそれを意味があるものに変えてみますね。
まずですね、「セゾン文化」の出発点、つまり堤清二さん
もちろん世代的には上の方だけれども

やはり60年代の学園闘争の時代に出発点があるんですね。
学園闘争の時代は日本だけではなくてどこの先進国でも
やはりこの世に、つまり現世にユートピアを実現しようとしたんですね。

ところがだいたい共通して69年に学園闘争が挫折をして
69年から70年にかけて地上の楽園だったはずのところが
実は大したことがないということがどんどん明るみになり

その「ここではない何処か」を地上に求める動きが
一挙にしぼむんですね。

それを入れ替わりに60年代末から70年代ごろから出てくるのが
日本でいう「アングラ」っていう動きで
「ここではない何処か」は現世ではなくて観念の世界の中に探すというもので

強啓
アンダーグラウンドねえ。

宮台
「天井桟敷」であり、あるいは「状況劇場」であり
今の小劇場ブームの出発点になるような様々なブームですね。

60年代末が「アングラ」だと思ってらっしゃる方が多いけど
実は70年代の前半が「アングラ」の時代です。

さて、しかしですね「ここではない何処か」を観念の世界に求める動きは
70年代半ばに至るまでにやっぱりしぼむんですね。

それはどうしてなのか?というと
「セゾン的」なものが出て来たからなんです。

73年に当時渋谷職安通りあるいは渋谷区役所通りと言われていた
今でいうとソープランド街です。
そこが「公園通り」と名を変えて73年にPARCOがオープンしたんですね。

いわゆるオシャレスポットというふうに皆さんが考えていらっしゃった。
ただですね、僕は71年から中学に通ってあの通りを出入りしていますから
僕らよく知ってるわけ、ちょっと前までトルコ風呂街

それがオシャレな公園通り、つまり簡単に言うとお笑いなんですよ。
つまりこれは「洒落」なんです。

「ここではない何処か」を探すのではなくて、
「ここを読み替えることこそが僕たちがこれから歩む道だ」というですね
そういう新しい方向性の指し示しがあったということなんですね。

「ここではない何処か」を指し示すっていうのではなくて
「ここを読み替える」というのはですね、
これ実は当時同時多発的に起こりました。

アメリカの場合にはベトナム戦争に対する反省と
ドラッグカルチャーに対する反省からやっぱり現世でオルタナティブなものを追求する
ということからコンピュータの光や音で深い酩酊をもたらそうというところが始まって

それは実はアップルにつながっていくという有名な流れもありますよね?
で、実は同じような流れが世界中にあったんですが、
日本ではまず「セゾン」っていう形をとって表に表れたんです。

例えば、このセゾングループ公園通りに編集部もありましたけれど
「ビックリハウス」っていうね、これは60年代の
パロディカルチャーのリソースを使いながらやはり洒落るんです。

ここを読み替えの洒落を展開する。
あるいはね、そこの細野晴臣さんも書いていらしたけれども、
常連執筆者であったけども

79年にSOLID STATE SURVIVORっていうですね、
有名なヒットアルバムを出すでしょ。
これも当時ウォークマンが出たばかりだけれども


この汚らしい東京もウォークマンでYMOを聞きながら歩けば
「TOKIO」に早変わりっていう読み替えなんですね。
つまりこれも洒落なんです。

つまり公園通りも「ビックリハウス」もYMOも全部洒落だったんです。
だから僕らは洒落として公園通りに関わってきた。

強啓
オシャレじゃないのね?

宮台
ところが、後続の世代にとっては「オシャレ」になっちゃったんです。
なっちゃったんです!!

つまりね、僕らにとってはあえてする読み替えであり戯れであった、洒落だったんです。
洒落がオシャレになってしまったんです。

オシャレになった時期はPOPEYEを見る限り特定できます。
1977年の10月なんです、秋から一挙に洒落がオシャレに変わっていくんですね。

洒落がオシャレに変わるとどうなるか?というと、
デートカルチャーや性愛カルチャーっていうのは、
若い人は圧迫しますよね?

「ああ自分には無理」とかっていうふうにして
逃げ道を探していることがある。

それで77年の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」ブーム、これを当て込んで
「OUT」「アニメージュ」「ファンロード」っていうねアニメ雑誌が出て
それを母体にして盛り上がっていったのがオタクだったんです。

つまりね、オタクと「セゾン文化」っていうのと一見関係ないように見えるけども
洒落からオシャレへという流れを通じて、

若い人と言えばクリスマスにホテルを予約して
こういうプレゼントを贈ってっていうそういうイメージの出発点を強制することで
実はオタク的なものも創り上げていくし。

オタクが更に追い詰められていくことによって
後の「オウム真理教」につながるようなハルマゲドン妄想とか幻想っていうのも
立ち上がっていくということがあったんです。

強啓
それも「セゾン文化」の影響ですか?

宮台
影響というよりもね「セゾン文化」が創り出したあるうねりや動きが
どんどん派生的に当初予想もしていなかったような分岐
枝分かれを創り出していくという

強啓
一人歩きをしていったんだ。

宮台
一人歩きしていったんです。
だから別に「セゾン文化」の責任というわけではないんですが・・

強啓
「セゾン文化」が目指していたものではない方向で・・

宮台
というよりも、こういうふうに考えたらいいですね。
「ここではない何処か」はもうない、だから「ここを読み替えよう」
ここは洒落でしかないんだと。

これはね、今で言うとオーギュメンテッド・リアリティ(AR)だよね。
あるいは中沢新一さんの「アース・ダイバー」で

つまりね楽園をどこかに探すんじゃなくて、ここを楽園化するしかない
しかしシミッタレてると現に。じゃあどうしたらいいんだ?というときに
あえて見立てるとか読み替えるということが大事でしょ?

恋愛においてもそうです。
基本的には読み込みだけじゃなくて、見立てがないと
実際関係というのは成り立たないわけですよ。

そういう意味ではとても正しい知恵を提示したんだけれども
それが知恵であるために必要なのは、記憶なんですよ。

僕たちはちょっと前までは「ここではない何処か」を探していたけれど難しかった。
だから「ここを読み替えよう」っていうふうに僕らは記憶があったから思えたけど

そこで洒落た様々なムーブメントが後続の世代は記憶がないので
「そうか!オシャレにやんなきゃいけないのか!」っていうふうに受け取って

いわゆる性愛オシャレカルチャーが70年代末から
バーッと広がるってことになったわけ。

このオシャレカルチャーっていうのは僕に言わせると
マジガチなんだよね、洒落っていうのはマジガチなんじゃなくて
戯れなんですよ。

戯れは強迫的でないじゃないけど、マジガチは強迫的でしょ?
だからオタクという逃げ道が生まれるわけ。

片桐
「セゾン文化」のオシャレさについていけなかったり、
受け入れられない人たちがそのオタクだったりそういう?

宮台
正確に言うと「セゾン文化」が創り出した洒落に関する勘違い
「洒落はオシャレだ」というふうに思った世代たちが創り出した

ある種の強迫的な居心地の悪いプレッシャーに対する逃げ道として
オタク的なものが創られていくんですね。

実はですね、僕らの世代は「セゾン文化」が出て来た経緯を
よく記憶している、だから僕自身はねやっぱり「洒落からオシャレ」への変質については
とても残念に思っているんですよ。

性愛はマジガチにオシャレかどうか?に関わるものではなくて
これ「愛のキャラバン」問題ではあるけれど、
どこかに洒落を含みながら関わらないと難しい問題なんです。




だからどうして80年代末から90年代にかけて
僕が援助交際の女子高生たちを取材して皆さんにお見せしたのかというとね

つまり皆さんオシャレと思っているね、都市文化的なもの
都市的生活なるもの「おいしい生活」なるものの実体はこれだぜということです。

僕はそれを肯定的な意味で提示していましたが、
それを皆さん受け入れられるか?ということですよね。

オシャレぶって公園通りでデートしている人間たちは
あそこ歩いている女子高生の多くが
こういうことをしているのを知っているのかい?

それを知ってどう思うかい?ビビるのかい?っていうふうなですね
挑発をしたかったというのがあります。

あるいは、そのオウム信者が出て来たってことについても僕はすぐに
それに関わったのもやはり経緯を知っているからなんですね。

彼らはそうやってオブセシティブになってしまったですね
オシャレカルチャー的な軽薄なしかしプレッシャーの強い社会に
居場所が見つからないということがある

だからまた何十年遅れで探し始めるわけですよね。
それは僕はよくないと・・

強啓
ということは「セゾン文化」はよくないってことですか?

宮台
違うんです。
歴史は誰かが1人で主体となって、1企業が主体となって創り出すものではなくて
転がっていくものなんですね。

転がっていくうちにゴミが付いたり枝葉が出たりする
そういうものとしてある。

その経緯をよく知らないと実は自分は真面目であったつもりで
いわば歴史の枝葉部分の踊らされて翻弄されたことになってしまうわけです。

強啓
つまり「セゾン文化」というものが転がっていって
様々なものが・・つまり玉突き状態のようになっていって
あらぬ方向に行くということも申し上げたいということでよろしいですか?

宮台
うん、というよりもそれは1つの基盤でね。
もともと「洒落る」ということ、つまり堤清二さんがお出しになった

「洒落る」ということはどういう方向性だったんだろうか?
というところに戻って欲しいんです。

そうすると堤さんの、あるいは「セゾン文化」の元々の意味を
僕たちが理解することで軌道修正が逆に出来る。

「セゾン文化」が悪いんじゃないんです。
「セゾン文化」を僕たちは誤読をしたということを問題にしているわけです。

強啓
そうか、これやっといま話に入ってった感じだよね?
入ってった感じなんだけど・・そうかもう時間がもう無いわ・・。

宮台
そうですね、これはさっき言ったように
10時間マターなんですよ。

個別の素材にいろいろ触れながらですね
何がどう枝葉につながっていったのか?ということを
事細かに説明することが出来ます。

強啓
こっから入ろうとしているんだけど、時間切れ!

(了)

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