今回は2014年12月2日放送「大谷ノブ彦 キキマス!」
「キキマス!」その2を起こしたいと思います。
大谷ノブ彦(以下、大谷)
今日のテーマは「今改めて見直したい日本映画」
高倉健さんに続き菅原文太さんがお亡くなりになられた2014年
お2人は日本映画の発展に大きく貢献されてきました。
今日は木曜の「キキマス!」でもお馴染みの映画評論家の松崎健夫さんをお迎えして
高倉健さん、菅原文太さんのあの名作映画を今改めて振り返ってみたいと思います。
さあゲストでございます、松崎さんよろしくお願いします。
松崎健夫(以下、松崎)
よろしくお願いします。
大谷
さあ松崎さんはいろいろ幅広く映画を見ていると思いますけど、
今回高倉健さんに続いて菅原文太さんもお亡くなりましたけど
今率直にどんなお気持ちでしょうか?
松崎
そうですね、僕らは本当に全盛期のことを
リアルタイムに知っている世代ではないんですけれども
とはいえ、後追いでいっぱい見ていた世代で
やっぱりそういう人たちが今
どんどん亡くなっている時代なんだなっていうのは
改めて感じるので僕らの立場から言うと
そういう人たちが映画作ってきたときに
どういう思いで作って来たのか?とか裏話みたいなのは
今やっぱり聞いて残さないといけないなっていう思いですよね。
大谷
そうですよね、やっぱりでも今のスターと
当時のスターっていうのは全く違うわけでしょ?
さあ今日はですね、松崎さんに高倉健さん菅原文太さんが出演された中から
今改めて見直したい日本映画を紹介していただきたいわけでございますが
まあいろいろありますよ!松崎さんセレクトで言うと、どのあたり行きましょう?
松崎
僕ね今日ちょっと3点ばかりポイントを考えてきたんですけど。
この2人っていうのはですね、
ニュースでも流れてましたけど2歳違いなのでそんなに年齢は違わないんですよね。
で、この世代他のどういう人がいるかって大谷さんご存じですか?
大谷
同世代ですか?松方弘樹さんとかですか?
松崎
もうちょっと後ですね。
大谷
千葉真一さんももうちょい後?そうなってくると誰だろう?
松崎
この高倉健さん31年で、同じ31年生まれに勝新太郎さんがいる。
その次の年の仲代達矢さん32年生まれで、33年が菅原文太さんで
34年が石原裕次郎さんっていう。
いわゆるそのすごい今でも人気のある俳優さんたちがこのあたりに生まれてて
1950年代の後半から70年代にかけて
まあ第一線で活躍してたっていうことなんですよ。
大谷
みんなモノマネされてますね。
マキタスポーツ(以下、マキタ)
そうだね、でもすごい重要なことだよね。
大谷
これ重要なことなんですよ。
じゃあ今人気のある役者さんモノマネしてます?皆さん。
そういうことなんですよね、記号的なスターですよね。
松崎
そのなぜ記号的になるか?っていう話なんですけど、
例えば高倉健さんにしても菅原文太さんにしても
多少昔の写真と今の写真を比べると年を取ってる感じはすると思うんですけど
でも印象としてあんまりイメージが変わらないことないですか?
昔と今と、それは髪型変えないとか服装のスタイル変えないとか
流行に流されないものを持っているっていうことが1つなんですよね。
それの大きな理由の1つは、彼らがそのスタジオシステムっていうものの中で
生まれてきたっていうことが大きいんですね。
大谷
映画が映画スタジオで作られていた?
松崎
例えば新聞なんかで履歴なんか読むと「東映入社」とかって書いてあると思うんですよ。
「入社」って何だ?っていうスターの入社ってなんだ!って話になると思うんですけど。
この話はお二方によくしていることではあるんですが、
元々映画っていうのは会社の中に社員として入ることによって
役者さんも監督さんもスタッフさんもみんな雇われていたっていう時代だった。
大谷
今は所属事務所っていう・・。
松崎
みんなフリーか所属事務所っていう形になっていると思うんですけど。
この頃は社員として雇われていたっていう面が大きいので、
要はその出たい作品ばっかりに今だってそうだと思うんですけど。
当時はもう出たい作品に出られるわけではなくて、会社が「あんたここ」「あんたここ」
っていうふうにはめ込んでいってその作品に出なきゃしょうがなかったっていう。
アナウンサーだったからよく分かると思うんですけど・・
脊山麻理子(以下、脊山)
分かりますね。仕事は選べないですね。
大谷
アナウンサーだったんですか?
脊山
一応、日本テレビに入社して6年、7年・・。
マキタ
あなたですよね?ホステスやっていたっていうのは(笑)
脊山
ああ・・やってません。
マキタ
違うんですね、ああ・・。
松崎
まあそういう形でやりたくないものでもやってたんだけども
それが基本的に会社としての考え方があるので
このスターはこうやって売っていこうってなったときに
だんだんとそのイメージに当てはまるものしかやらせてもらえないことが
結果的に彼らのイメージに繋がっていくってことなんですよ。
それを今やろうとしても中々難しいのはCMに出なきゃいけない
ドラマだったらこういう役やらなきゃいけない。
それをやってるからたまに悪役もやりたいと思うけど、それやることによって
イメージが違うから干されてしまうっていうような事象があったりとかもあるので
それがたまたまこの時期にそのスタジオシステムっていうのが
結果的に彼らにとってもものすごく苦痛の種だったので、
いろいろ調べると鶴田浩二さんにしても池部良さんにしても石原裕次郎さんにしても
三船敏郎さんも勝さんも後々独立プロを作るわけですよ。
大谷
高倉健さんもフリーになってましたもんね。
松崎
でもこの高倉健さんと菅原文太さんの特徴は
この同年代の人と違って独立プロを作らなかった。
大谷
そうか、フリーにはなったけどプロダクションは作ってないんだ。
松崎
それは1つには彼らが独立プロになって自分のやりたい映画を作るんだけども
映画っていうのはものすごいお金のかかる商売で1本当たらなかったときに
破産するとかっていうのを避けるっていうのもあったんだと思うんですけども。
僕はなんとなくその時点でスタジオシステムの中で培われてきた自分のイメージってのを
そのまま継承しようっていうマキタさんとか大谷さんとかがよく言う「引き受ける」ってことを
この2人はやったから例えばイメージが変わらず今もずっとあるんじゃないかな?と。
大谷
結果、高倉健さんっていうのはある種「任侠シリーズ」の象徴になったわけじゃないですか?
その後「実録もの」になったときにもうこれからは高倉健の時代じゃないと、
「実録シリーズ」なんだと銘打ったときに自分の居場所がなくなったっていうふうになってるけど
でもそういうことも踏まえた上で出て行った先のところで
じゃあ自分で作品を作りますよじゃなくて、じゃあ俺を使って映画を撮ってくれと。
そういう立場を取ったってこということか。
松崎
だと思うんですよ。それは何故か?って考えたときに
さっきの同年代の人たちの話になるんですけど。
石原裕次郎さんって34年生まれでこの中でも1番年が下なんですけど。
出て来たのが「太陽の季節」っていうお兄さんの石原慎太郎さんの原作のもので
役者としてデビューして、
いきなり脇だったのが注目されてスターになって「狂った果実」で主演して
いきなり大スターになったんですけど、このとき僅か22歳なわけですよ。
ところが高倉健さんは「日本侠客伝」シリーズでデビューするまでってけっこう長くて
最初は「電光空手打ち」っていう主演デビューで出て来たんですよね。
55年入社して56年には主演でデビューしたんだけど、
その後「侠客伝」までの64年って8年間ぐらいどうにもならない時期があった
その間に年下の石原裕次郎はどんどんスターになってた。
更にその2つ下の菅原文太さんにしてみると、菅原さんは更に転々として
新東宝に最初入社して、新東宝が倒産しちゃったので松竹に移籍して
松竹で安藤昇さんの紹介によって東映にやってきたっていう。
東映に来たのがもう67年なんですよ。
大谷
かなり下積みというか・・
僕ね、高倉健さん亡くなったときに放送でちょっと言わなかったんですけど。
福岡に営業に行ったときにある飯屋に入ったときにすごい写真が飾ってて
「どっかで見たことあるな?」と思ったら高倉健さんだったんですよ。
高倉健さんの若かりし頃でご主人と撮ってるんですけど。
それっていわゆるその不遇の時代の高倉健さんだったんです。
で、そこのご主人さんが言ってた話なんですけど。
高倉健さんは自分に全然自身が無かったんですって。
「もう役者は俺無理なんじゃないかな?」みたいなこと言ったりとか
やっぱりけっこう弱音を吐いていた高倉健さんがすごいイメージを持っている
みたいなことを言ってて、だからその間いろいろ思うところがあったのかな?ってね。
松崎
だと思いますよ、言っても「日本侠客伝」が64年なので33歳のときにやっと。
マキタ
30超えてんだ。
松崎
さっき言ったように石原裕次郎さんは22歳のころだった、10年ほど違うわけです。
更に菅原文太さんは「仁義なき戦い」と言われてるけど
その前に「まむしの兄弟」のシリーズがあって、
これが71年なのでほぼ40歳前ぐらいになってやっとなんですよ。
大谷
そこまである種のヒット作が出なかったんだ!
松崎
はい、もちろん海女が主人公のなんかものとかで主役とかやってたりするんですけど。
そういうものを除いて本当にこの菅原文太さんを見たい!って客が思う映画っていうのは
70年代まで出て来なかったってことは
やっぱりそこでやっと自分が周りに認められてイメージが付いたもの
っていうのを僕は大事にしようとしたのかな?と思うんですよ。
大谷
なるほどね!面白いねー。
脊山
すごいしっくり来る。
松崎
だからそのスタジオシステムっていうのが当時としては足枷だったんだけれども
それによってこの2人に関してはイメージがついてその先達たちの失敗を見ることによって
自分のイメージをどうやって温存するか?映画のどうやって関わっていくか?
芸能界でどう関わっていくか?自分のイメージとか私生活をどう見せていくか?
ってことを考えた2人じゃないかと思うんですよ。
大谷
そう考えると晩年の高倉健さんの作品選びってちょっと沁みるなあ!これ!
松崎
本当なら例えば「あ・うん」っていう映画があったんですけど、
それは「ブラック・レイン」の後ぐらいに出た映画で板東英二さんとか出てたんですけど
ちょっとコメディタッチだったんですよね。
でも世間ではこれは高倉健じゃないって言われて、当時のレビューとか見ると
まあ散々なことを書かれてるんですよね。「健さんやっぱりコメディ映画が似合わない」
とかって書かれて、でも健さん自体はそういうものに出たいと思ったんだと思うんですよね。
更にその「ブラック・レイン」っていうハリウッド作に出たことで自由度が更に高まって
出たいものに出れるって選んだときに
やっぱりコメディっぽい演技、軽い演技だったってことは
「本当は僕こういう面も持ってるんですよ」って。
よく実際の映像を見ると冗談を言っているところとか出てくるじゃないですか?
大谷
そう、けっこういたずらっ子だったみたいなことを言ってました、板東英二さんも。
松崎
そういう面があるのをやっぱり出したいと思ったんだけども。
やっぱりそれは世間が望んでいるものじゃないと分かったときに
結果的に自分のやっぱり世間の求めているイメージっていうものに
戻っていったんじゃないかな?っていうふうに思えるんですよね。
大谷
うわーこれ辛え!
これは味わい深いね、マキタくん!
マキタ
味わい深いなー・・そうか・・。
大谷
ちょっとこれ頭整理して引き続き松崎さんにはいろんなお話を伺って
その上でチョイスしていただきましょう。
(中略)
大谷
さあというわけでございまして、今日はゲストに松崎健夫さんをお呼びしまして
菅原文太さんそして高倉健さんの・・もうこれは評論ですね、今やってることは。
これはすごく面白いなと思いますね。
ずっと思ってたんです、その高倉健さんのその複雑な・・晩年の映画選びの慎重さというか
に対してどこか何かモヤモヤとしたものをすごく持ってたし、
やっぱりでも僕のイメージでは高倉健さんっていうのは
ある種若い頃に出ていた娯楽作品としてでもそ
れが映画として別に劣っているわけじゃないのに
なんか晩年の暖かい映画?文部省推薦の映画ばっかりが、
まるで何か位が高いみたいな?それに何かちょっと抵抗したいなと思ってたときに
なんか一個今線に繋がってきた感じしますよね。
松崎
それはもう客が望んだものに寄っていったってことだと僕は思うんですよね。
大谷
さあそんな中でございますが、松崎さん。
お2人が出演された中から今改めて見直したい映画
何をチョイスしてくれたんでしょうか?
松崎
えーとですね、高倉健さんの作品だと「八甲田山」ですね。
それは今ちょうど「インターステラー」という映画が公開されてまして、
SFの映画なんですけど。
これは皆見て何がすごいって思うかっていうと、
SF映画なのにCGを極力使わないっていうところなんですよ。
要はやっぱり「アラビアのロレンス」みたいなものもそうなんですけど。
大谷
「八甲田山」と「アラビアのロレンス」は今もう劇場で観たいです、セットで。
松崎
要は実際の場所で実際にやって撮るっていうことが最近出来なくなってきてるからこそ
それがすごいと思うんだと思うんですけど、
元々映画ってそうやって撮ってたんだよってことなんですよね。
その以前にも64年に「ジャコ万と鉄」とか「狼と豚と人間」とか
そういう東映の作品でも割と荒野の方に行って撮ったりとか
とてつもないケンカのシーンを撮ったりとかっていうことをやってた流れの中で
この「八甲田山」っていうのは高倉健さんが行軍にて山に登って痛い目に遭うという話を
描いているんですけれども、その雪山のシーンっていうのが
実際に行軍していた人たちと同じような状況に置いて、
例えば雪の中で待つのが7時間待ちとかっていうのがあって
彼らがその映画の中で肩に積もってる雪って本当に積もってるんですよ。
自分たちで付けた雪じゃなくて、
それが「そんなことしなくてまで映画撮らなくてもいいじゃないか!」
って思うかもしれないですけど、映画っていうのはテレビと違って
お金を払って何かを観に行って、対価を払って観に行くっていうときに
やっぱりテレビでは見れないものとか、自分たちが中々経験できないものとか
その人たちが何をやっているか?っていうのを観たいと思ってお金払っていると思うんですよ。
そういうときに高倉健さんは自分がそれまでやってきた
任侠映画とかヤクザ映画の路線から外れて人間ドラマとして描いたときに
戦争のことを描いてるんだけど、
またそれが大自然の中に入ったときにどうなるか?ってことを
自ら飛び込んでそういうのを、大スターだったらそこまでしなくていい時代に
こういうことをやったっていうことと
ここで木村大作さんっていうカメラマンとも出会ったっていう。
大谷
これでも劇場で観たいな。
「アラビアのロレンス」と「八甲田山」は僕ね、劇場で観たいんすよね。
さあじゃあ続いて行きましょう。
松崎
菅原文太さんの作品を選ぶと僕まあ「太陽を盗んだ男」を
さっきお話しされてましたけれどもそれと同時期ぐらいに
「ダイナマイトどんどん」っていう映画があったんですね。
大谷
あのキャッチャーのね「ダイナマイトどんどん」エネルギー溢れてますよ!
松崎
これも野球映画なんだけど、ある種ヤクザ映画みたいなところもあってですね。
その戦後の荒くれの中でケンカの解決を野球でやるっていうことなんですよ(笑)
やるんだけど、デッドボールをどうやって当てるか?とか
そういう姑息なことを考えたりするっていうのがあるんですけど。
さっきフランキー堺さんの話してたじゃないですか?
僕この中でもフランキーさん出ていて何がすごいか?っていうと
トスバッティングで選手たちを鍛えるシーンがあるんですけど
画面の奥の方にフランキーさんが写ってて、
パンパンパンパン、トスバッティングでボールを打ってるんですよね。
それがもうすごい綺麗に当たるんですよ、自分で打って。
ってことはね、今だったらボールだけCGにするとか可能じゃないですか?
身体能力の話されてたじゃないですか?
フランキー堺さんだからものすごい身体能力なわけですよ。
もう1シーン1カットで後ろの方に小っちゃく写ってるんだけど、
全部の球を打ってるんですよ、綺麗に。
それってもうその人の身体能力あってこその場面じゃないですか?
大谷
だから「るろうに剣心」がやっぱりご年配の方が観ても面白いっていうのは
佐藤健くんがダンスをやってて身体能力が非常に高い上に
そういう合成技術があるからってことなんですよね?
松崎
だからそれをサラッと見せて、これよく見ないと気付かないんですけど
サラッと見せているところへも、映画っていうのはそういう俳優さんの身体能力とか
そういうものが刻まれているものだと改めて感じさせられるところと、
そのやっぱり東映を出た菅原文太さんが、さっきの話じゃないですけど
その他の作品これ大映の作品なんですけど、出たときには。
やっぱりそのイメージを引き継いだものに出ようということで
「ヤクザ上がりの」というようなバックグラウンドがあったりっていうことも
演じているところは流れがあるなと思って、
その後に「太陽を盗んだ男」に出てるんですけど、
これはこれで刑事だけどけっこう荒くれじゃないですか?
格好自体は首から上だけは一緒ですよね?見た感じはね(笑)
それは悪なのか善なのかっていうのは、その前の「県警対組織暴力」の中でも
警察を演じてるんですけれども、それがやっぱり白と黒、灰色っていうのは何なのか?
っていうのはやっぱりその役者、
菅原文太さんっていう役者の首から上の顔が同じでも
それは人間の本質って変わらないんじゃないか?っていうところで演じているからこそ
ものすごい良い・・
大谷
役職とかで別に正義や悪は決めるわけじゃないと。
松崎
はい、っていうことを表しているっていうところでも
ものすごい面白いと思います。
大谷
そうか「県警対組織暴力」ってそうだわ、確かに!
あれおっかねえもん、あの菅原文太さん。
あれおっかないもん!
マキタ
菅原文太さんって僕やっぱり表情とかの使い方でも
健さんと比較すると全然違うと思うんだよね。
あと居住まいと体の使い方とかさ、
例えば冒頭でも言ったけど、健さんがやっていたヤクザものっていうのはさ
ある種のロマンであってさ、
そういうちょっとフィクショナルなものがあったけど
それを実録ものでリアリズムの方だったわけでしょ?
だからあり方が全然違うと思って、体の使い方も違うなとかって。
大谷
背中を丸めてね、タバコをくわえているイメージ。
マキタ
あと顔を歪めてさ「おう、オドレらこらっ!」みたいな感じで言ってる
あの感じとかってあれ絶対健さんにはない1つの型だと思うんだけど
健さんはだからやっぱりロマンであり・・
大谷
美しい、姿勢が正しい。
マキタ
そう、だから健さんの映画って実はあまり肉体が無かったのかな?
なんてことも思ったりもしてね。
大谷
これねすごいマキタくんが今日言ってるんですよ。
健さんがものすごいボクシング好きだったと。
松崎
はいはいはい、学生のころにフェザー級かなんか持ってたっていう・・
マキタ
そうボクシングを自分でもやられてたんですけど、
でも途中から自分の肉体を消していく作業をどこか何かあったのかな?と。
その中で80年代黄金期のミドル級がすごく盛り上がっていた時代あったんですけど
ラスベガスのシーザース・パレスにしょっちゅう行ってたらしいんですよ。
それで観に行ってたんですって、しかも特等席を取ってもらって。
そういうことをあんまりしたくない人だと思うんですけど。
大谷
一番嫌いなはずじゃないですか?コネを使うって。
でもそれでも観たかったっていうね。
どうしてそんなに固執するのか?っていうときに肉体がないからじゃねえか?って。
マキタ
意外となかったからかな?なんて。
大谷
俺もだから様式美はすげえあるけど、肉体性・身体性を感じないんですよ。
それはすごい高倉健さんの特徴のような気がしますね。
松崎
それはね、やっぱり池部良さんと共演したときに
その対比がやっぱり面白かったというふうに言われてるんですよ。
大谷
はああ、池部良さん動けるから!
松崎
でやっぱり大先輩じゃないですか?
そのニヒルな感じと対比を出さないことには
自分のキャラクターが出ないっていうときに
大谷
そして、それがウケたし。
マキタ
そう、うちのお袋「スケベ良」って言ってたもん。
だからそれは生々しかったからなんですよ、たぶん池部良さんの方がね。
(中略)
松崎
僕一個だけね、今回菅原さんが昨日亡くなったって報道があって伝えたいことがあって
「まむしの兄弟」っていうシリーズの兄貴の方をやってたんですけれども、
彼のキャラクター設定をよくよく考えるとですね
「故郷がない」っていう設定だったんです。
それはダムの下に今故郷があって帰る場所がないと。
で、菅原さんが震災があった後に俳優業をやってられないと言って断って
「そういうことではない」って言ったときっていうのは、
「まむしの兄弟」の兄貴の心境をそのとき初めて
本気で分かったんじゃないかな?って。
あの「東京家族」を断ったときに僕それを思ったのを昨日思い出したんですよ。
だからその別にやり方があるんじゃないか?っていうメッセージを残そうとして
最後の方はそういう活動をしていらっしゃったんじゃないかな?というふうに
思うんですよね。
「まむしの兄弟」のバックグラウンドを語るセリフを聞くと、
ちょっとジーンと来ますよね。
(了)
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