嘉門達夫が語る「阪神大震災のときは、被災地に歌いに行ったときに『こんなん言うてええんかな?』ってやってみたら、『よう言うてくれた!そうやねん!』って」

2015/02/06

キキマス! 嘉門達夫 阪神大震災 大谷ノブ彦 東日本大震災

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今回は2014年12月3日放送「大谷ノブ彦 キキマス!」
「キキマス!」その3を起こしたいと思います。



大谷
3時のあたまいつもグッドミュージックを聞いていただいて
ちょっと一息入れようという時間なんですけど、
今日はせっかく嘉門さんいらっしゃっていただいておりますので

ここで1曲歌っていただけるってことで・・
あっ、CDを掛けるという形でってことで、分かりました。
えーとこの曲は「希望のマーチ」これはどんな曲なんでしょうか?

嘉門
これは東日本大震災のチャリティシングルで
なんかまあそのときに作ったんですけども。

あういうときこそ子どもからお年寄りまでがみんなが前向きになって
楽しく歌える、あるいは演奏できるそんな歌があった方がええんじゃないか?
ということで作ったんですね。

大谷
嘉門さんでも2011年の5月だから、もうあってすぐ・・

嘉門
5月に作ったんかな?リリースやったっけ?

大谷
いやだって、それすぐじゃないですか?

嘉門
すぐやったんですよ。
で、ブラスバンドで演奏できるように愛媛県の中学校の先生が
17パートの楽譜に全部起こしてくれて、

楽譜とかはいろんなところの吹奏楽部・ブラスバンドに配って
その被災地には行けないけれども四国の中学生が演奏することによって
なんか被災地への思いを伝えたり、だからそんな感じの活動になっております。

大谷
あのー、今もそういう復興支援活動っていうのをやられてて?

嘉門
そうですね、何度も足も運んでおりますが

大谷
僕もあのイベントとかで大船渡とかもちろん石巻も行ってるんですけれども。
あのー、亘理町(わたりちょう)っていうところでは
「みんなの祭り 無礼講」というイベントをやったりとか

嘉門
そうそう、これは今年は陸前高田も行きましたしね。

大谷
僕、不勉強で知らなかったんですけど。
1995年阪神大震災、今から20年前ですか?
そのときにも500万円の義援金と自宅を売却して?

嘉門
これちょっとまあ・・だいぶ尾ひれ付いてるんですけれども(笑)

大谷
まあでもかなりその・・1人の個人が出来るとしたら
けっこう限界な感じの・・。

嘉門
あのときは神戸に泊まってたんですよ、ホテルオークラの27階に。
めちゃくちゃ揺れて、で1日お世話になって。次の日船で淡路島経由で
関空から東京に帰ってきて、なんか自分だけ逃げてきたような感じになって

ちょうど泉谷さんがオールナイトニッポンで震災特番やってて
「被災したやつ電話してこい!」って言うから俺電話して
で「何か一緒にやらせて下さい」って言うて泉谷さんとチャリティライブとかを

それもニッポン放送絡んでるがな!
俺の人生ニッポン放送めちゃくちゃ絡んでるやんけ!

大谷
ハハハハハハ(笑)そうなんすね。
今もでもやっぱりいろいろやっていきながら
思うところってたくさんあると思うんですけど

例えば、阪神大震災のときに出した「怒りのグルーヴ」っていう曲
これなんかも要はある種アンチテーゼあるじゃないですか?

嘉門
阪神大震災のときは、被災地に歌いに行ったときに
「高いグラスは割れて ビールのおまけのグラスしか残ってへんやんけボケー!」
とか言うて、

「こんなん言うてええんかな?」ってやってみたら、
「よう言うてくれた!そうやねん!」って

「トイレの水を流すのがこんなに大変やったと思えへんかったぞ!」って言うたら
「そう!よう言うてくれた!」みたいな、
「あっ、言うた方がええんや!」って思うたんですよ。



大谷
その「不謹慎、不謹慎」みたいな。
なんか僕らもそうだったんですよ、僕も東日本大震災のときって「不謹慎」って

自分が20年間やってきたことが「不謹慎だから」って言われちゃったときに
1回やっぱり止まっちゃったんですよね。

だけどやっぱりその行ったときに、何かしに行ったんじゃなくて
僕はなんかそこで見て目撃したことを思いのままババーッと言いたいと思ってるんだけど
意外にいろんなものをいただけるじゃないですか?

それこそ有り難い言葉だったりとか、だから世の中の感じとちょっと違うなって
行ってみたらっていうのがすごい印象に残ったんですよね。

嘉門
だから行ってみるべきですし、まあ僕らはちょっとでも楽しんでもらおうという
その生活の範囲がすごく狭まったところでいろんな拘束の中で暮らしている人に
ちょっとでも解き放たれてもらおうと思って行くわけですからね、うん。

大谷
なるほど、じゃあちょっとこの曲聞きたいんでね。
嘉門さんからちょっと曲の紹介をお願いいたします。

嘉門
はい、東日本大震災チャリティシングル「希望のマーチ」
泉谷さんとかのコーラスも入ってます、これ。



大谷
泉谷さんのコーラス、聞こえてきましたよ。
みんなで歌う歌ですね。

あのー嘉門さん、石巻で起こってる「みんなの祭り 無礼講」っていうイベント
これどういうイベントなんですか?



嘉門
これ名古屋の矢野きよ実さんっていうパーソナリティで書道家の女性と
泉谷さんとかが名古屋で祭りをやろうってことでイベンターさんとかの力を借りずに
みんなスタッフが手弁当でやろうっていう

祭りを始めた直後に東日本大震災が起きまして、
「じゃあ祭り持って行こう」っていうことで何度か石巻とか陸前高田とか
亘理町とかで向こうで祭りをやってる。

そして向こうの人にも出てもらう、地元のバンドとか
それこそお年寄りのカラオケの人とかね、そういうのに東京から名古屋から
プロも行って一緒に歌うというそういうお祭りですね。

大谷
これはあれですね、なんか意味合いがありますし。
これから続けて行かなきゃお祭りですよね。

僕も石巻は地元の若い子がやってるイベントの毎年呼んでもらって行ってるんですけど、
その度にいろんな思いに駆られるんですけど、
地元のそういう人たちはそういうふうになるといいし、

でもちょっとなんか東京に戻ってくると温度差として
ちょっと意識的には「あんまりそんな言うな」みたいな感じの空気も感じたりするんで。
でもそこはやっぱり意思の疎通のためにはこういう楽しい祭りを。

嘉門
そうです、やっぱり時間掛かりますしね。
今年レコーディング神戸のスタジオでやってたんやけどね。
長田区の全部焼け落ちたところがね、今全部新しいアーケードになってもう10年。

ところがけっこう人通りがまばらでやっぱりまだまだ時間が掛かんねんなと。
体裁は整ったけど、昔のように元通りになることはないんやな。
そんな中で皆が前を向きながら日々暮らしていって

時が経てばだんだん風景が日常的なものになっていくんやな
というふうなことは感じてますけどね。

大谷
感覚的にそういうふうな意識って昔から持ってたんですか?

嘉門
どうでしょうね?

大谷
いわゆるラジオパーソナリティなりたいなと思った少年時代のときから
自分のやることというものとその社会性とかのつながりみたいなって考えてたんですか?
それはあんまりなかったですか?

嘉門
どうやろう?でもまあ単に喜んでもらいたいだけですからね、クラスで。

大谷
じゃあ意識はもうその阪神大震災が本当に大きかったってことですか?

嘉門
それはもう大きかったですね。

大谷
実際体験し東京に来たことによって。

嘉門
それを経ての東日本大震災なんで、だからやっぱり今回も
「怒りのグルーヴ」を入れたんですけれども、
だから「震災直後のテレビは津波の映像を何回も流す それはもうええねん!」とかね。



東京のコンビニとかでも水がなくなったりとか
そういう見苦しい場面がありましたけど、そういうことは具体的に言うておいたら
「ああっ、そうやった!」っていう

歌詞に残しておくとそのリアリティを
ここに封印することが出来るわけ。

大谷
何年か経つとこれが歴史の資料として。

嘉門
阪神大震災のときも当時の
「村山首相が来るのはスイスの救助犬よりも遅かったぞボケ」
とか言うてるんですけども。



そういうことを残しとかんと、
そういう事実は形にしとかんとアカンと思うんですよね。

大谷
そうですよね、また村山総理が大分県出身でちょっと・・

嘉門
まあまあ悪気はもちろんないんですけれども。

(了)

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