伊東明さんの回を起こしたいと思います。
松尾貴史(以下、松尾)
早速、今週のゲストをご紹介します。心理学者の伊東明さんです。よろしくお願いします。
伊東明(以下、伊東)
はい、よろしくお願いします。
松尾
まずは伊東先生のプロフィールをご紹介します。
加藤シルビア(以下、加藤)
伊東明さんは早稲田大学政治経済学部を卒業後、NTTでの勤務を経て慶應義塾大学大学院で社会心理学の博士号を取得。大学などで講師を務めたあと現在は東京心理コンサルティング代表としてビジネスや人間について心理学の観点から研修や講演を行っていらっしゃいます。
今回は、今年伊東さんが小学館新書より出された「気にしすぎ症候群」を元に「気にしすぎ」について科学していただきます。
松尾
この「気にしすぎ」という状態になって苦しんでいる人が増えているんでしょうか?
伊東
そこは残念ながら量的なデータで「10年前に比べて・・」っていうのはないのがね、科学的には申し訳ない部分ではあるんですけど。
私からすると量ですよね、その気にしすぎの量が増えているか?っていうと、データは正直ないんですけど。種類は確実に増えているだろうなあと。もしくは昔と違って質が変わってきたなと。
昔でいうと、例えば「出世したい」とか「お金が欲しい」とか。もっと古代で言えば「天気が心配で、作物が・・」だったじゃないですか?それがどんどん質っていうものが変わってきて。
例えば今でいうと「既読スルー」とかってみんなすごい気にしますよね?もうなんかLINEでもメールでもあれして。人によっては3分で返信が帰って来ないと「嫌われたかな?」とか。
松尾
いやでもそうですよね。昔は返事がないときには「あれ?電話なり手紙なりが届いていないのかな?」「メッセージが伝わっていないのかしら?」「どうしたのかしら?」
「どっか出かけているのか?それとも病気で伏せっているのか?」「誰かがイジワルしているのか?」って漠然とした不安だったものが、今は「見てるくせに返事が来ない!」っていうのでちょっとした嫌悪みたいなものも湧いてくる。
伊東
恨みが募ってきたり、自己嫌悪みたいなのになったりとか。恥ずかしさとかもういろんなネガティブ感情ですよね。
ネットなんかでも「エゴサーチ」っていって自分の名前を入れれば、まあねいろいろ書かれているじゃないですか?それ見ると眠れなくなるとかも気にしてしまうとか、これって正直10年前ではほとんど考えられなかったことですよね。
松尾
もう本当にネットで例えば自分が気になっているものを、まあ自分のことでもそうなんですけどけど。検索すると例えば100人のうち98人が褒めてくれてて、たった2人が悪口言ってて半々でストレスの方が大きいぐらいになっちゃうんですよね。
伊東
そうですよね。ひょっとしたらもっと大きいかもですよね。
松尾
うん、だからエゴサーチなんかやるべきじゃないんですよね。
加藤
そう思います。
松尾
心の健康のためにも。僕ね、あるときそれに気がついて一切やらなくなりました。
加藤
あっ、それでもうそれを貫き通していらっしゃるんですか?
松尾
もう、ほとんどの人が褒めてくれてても一部の人が悪口書いていると、それでね「けっ!」って思ってなんかむしゃくちゃしてたんですよ。
そのストレスが無駄だ!と思ってあるときから「もう誰が何を言おうが知ったこっちゃない」ということで一切やめました。
加藤
その方が幸せになれますよね。
松尾
ものすごく楽ですね、これがね。すいません、私の話はどうでもいいんですけども。まあでもとにかく気にしすぎるというとか、してしまう動物だっていうこともありますよね?
だからその種をまかないようにしなきゃいけないっていうことですよね?
伊東
やっぱり大事なのが程度の問題ということで、我々が憶えておくべきっていうのはその気にしすぎるのは悪いわけじゃないんですよ。それがまず一番重要なのは人間っていうのは気にしすぎになる生き物だっていう。
松尾
そうですか、じゃあそこからうかがいましょう。まず具体的にこちらから。
加藤
「『気にしすぎ』にはデメリットだけでなく、メリットもある」
松尾
本当ですか?(笑)メリットもありますか?
伊東
そうです、そもそもメリットの前に宿命だっていう。だから人間っていうのは生まれてきたらいろんなことを気にするそういう宿命があるんですよと。
松尾
気にする宿命。
伊東
だから宿命があるっていうことは、結局メリットがあるっていうことなんですよね。すごく簡単に考えるとみんな研修でもお分かりいただけるのが。
2頭のシマウマがいますと、1頭のシマウマの方っていうのはもうポジティブシンキング満載で何も気にしませんと。「もうエサは美味いし、天気は良いし、草原は綺麗だし、もう最高だな」と。悩みなんか無いぜ!って気にしないとするじゃないですか?
もう1頭のシマウマっていうのは、「いつライオンが襲ってくるか?」とか「この草が尽きたらどうしよう」とか。「敵は今どっかにいないか?」って気にしているとしますよね?
どっちが生存確率が高いか?っていうと、当然気にするシマウマの方が生存確率っていうのが高いわけですよね。
松尾
そうですよね、例えば家出たときにね。慣れている所作なので鍵を閉めるって簡単にガチャガチャってやっちゃうじゃないですか?そうすると簡単にガチャガチャっとやっちゃうから、無意識に近い状態でやってて。
5,6歩歩いたときに「あれっ?鍵閉めたかな?」と思って元に戻る「いやいや、閉めてたんじゃないの?さっき」「いやでもちょっと確認」って戻る人と戻らない人とどっちが泥棒に遭いやすいかもありますよね?
伊東
それも程度問題で、100回家に戻ったらマズいんですけど。2,3回ぐらいであれば戻る人戻らない人とかであればまあ安全なのは戻る人ですよね。
松尾
火の元とかね。
伊東
ですからまあちょっと簡単なキーワードでいうと気にするっていうことは人間にとってリスク回避なんですよね。リスクを察知するということが「気にする」っていうことであるわけです。
ですから、気にしない人っていうのはリスク回避ができないっていうことなので危ないんですよ。リスクを察知する脳の部分っていうのが損傷していると無謀な行動ばかり取ってしまうということも分かっていて。
それこそ道歩いていても自分は車にひかれるはずがないとか。あとは絶対自分はダマされないと思ってしまうとかって言ってると、やっぱり大変なことになりますよね?
松尾
だいたい「俺はダマされない」「私は大丈夫」って言う人がそういう目に遭っちゃうんですよね。「今まで大丈夫だったから」って訳の分からない、根拠のない経験主義でね。今からあるのに、それを気にしていないっていうのはね・・
動物なんかでも小動物なんかは、ちょっと音がするとヒュッと出来るだけ姿勢を高くして周りをうかがうとか。あういうことが身を守る術ですよね?
伊東
そうですね、だからもう本能としてDNAに組み込まれているっていうことなんですよね。
松尾
ただ人間の場合はその気にしなきゃいけないっていう材料とか情報が多すぎるんですよね。
伊東
おっしゃる通りなんですよ、だからそこが人間のまた宿命という部分。まあ良くも悪くもという部分なんですけど。人間はその脳が発達しすぎちゃってるわけですよね。
動物であれば、エサがあるか?ないか?とか敵が迫ってくるかどうか?とかすごく単純で良いわけじゃないですか?ところが人間ってまずそれはありますよね?「敵が・・」とか「食べ物が・・」とか。
それが人間の場合には例えば自尊心に絡んできて、「自分は出世できるんだろうか?」とかたとえお給料に問題が無くてもやっぱりこう「自分だけ同期から取り残されている」とか。
そしたらその裏には生存だけじゃなくて、自尊心とかプライドとか。あともう1個厄介なのが未来を人間は考えすぎるんですよね。
例えば犬が10年後の自分って考えないじゃないですか?「俺、このままでいいのかな?」って考えて「5年後、犬としてどうあるべきか?」ってやっぱり考えないですよね(笑)
松尾
「死なないようにしよう」って意識しているのも人間だけなんじゃないか?っていう気もしますね。
伊東
しかも老後でも「いきいき健康」とかっていうなんかその同じ老後でもただ生きているだけじゃなくて「いきいきシニア」とかまたいろんなことを考え始めるじゃないですか?
あとはやっぱりもう1個は情報の量があまりに多くって、まさにネットの功罪でもあるんですけど気にする材料が本当に無限大ですよね。
松尾
なんかこうそれに対してある種の恐怖のようなものも湧いてくるんですけど。
伊東
そうです、そうです。今後はやっぱり恐怖っていう感情であってシマウマからすると向こうにライオンっていうのも恐怖。脳で言うと扁桃体っていう恐怖を感じる部分があるんですよ。そこがもう反応し始めてくるわけですよね。
それが人によっては、その反応がずーっと残っちゃうわけです。あのPTSDって、Post Traumatic Stress Disorder っていうのがあるんですけど。
すごく本当に恐怖を感じる出来事があると、しばらくしても寝てる間にパッと思い出して恐怖で目が覚めてしまうとか。ずーっとその記憶っていうものが残ってしまうわけなんですよね。
松尾
あのー、気にしすぎだと身を守ることができるのに気にしすぎだとそのストレスで早死にしちゃうっていうこともありますよね(笑)
伊東
そうです、だからそこがすごい逆説であって冒頭で申し上げましたように程度の問題だっていうのはそこなんですよね。
松尾
そうか、100回鍵掛けたか見に帰る人は、結局何もできなくなっちゃうってことですもんね。
伊東
そうそうそう、恐怖でっていう。それが1回くらいで終わるのか?っていうその本当程度なんですよね。
松尾
何か例えば自分が関わるのに、昔は「噂話」とか「お触れ」とか「半鐘が鳴る」とかそういうことだけだったのが、あとは「風が吹く」とかね。今はもう文字でも絵でも音でもいろんなものが流れてきますよね?そういうメディアに触れるせいで何かが起きるっていうことも?
伊東
そうですよね、例えば「夏までの3キロ痩せる」っていう文句を見るとするじゃないですか?そうすると人はそれをどういうふうに感じるかっていうと・・
「今の自分は太ってるんじゃないか」とか、「3キロ痩せないと愛されない」っていうふうに恐怖の反応を覚えてしまうわけなんですよね。
だから一時メディアっていうのは・・まあ言っていいのか分かりませんけど、恐怖を煽るっていうのが一つ、人って恐怖を見つけるとすごくそこに注意が行くわけなんですよ。
だから人から注目を集めたければ、「ハッピーほのぼのニュース」よりもやっぱりちょっと怖いニュースとか「こんな危険が迫ってますよ」っていう方にやっぱり人って目が行きますよね。
松尾
またメディアも恐怖で煽ると数字が取れるもんだからね。もうどう思ってるんですか!キャスターの加藤さん!
加藤
はい、真摯に受け止めて・・上に上げときます(笑)
松尾
上に上げないで、怖いから(笑)
(中略)
松尾
後半もよろしくお願いします。早速こちら。
加藤
「気にしすぎを直す5つのステップ」
松尾
気にしすぎのメカニズムについて前半はうかがいましたが、これからは対処法でございます。この5つのステップというのはどんなものがあるんでしょうか?
伊東
5つのステップというのは、まずステップ1しては「気にしている自分に気づく」と。結局何かを改善するときって全部一緒なんですけど、まずそういうクセがあるっていうことに気づくことがポイントですよね。
自分は髪の毛を触るクセがあるって気づいてはじめて直っていくじゃないですか?ただ人間の思考って早く流れすぎていてなかなか気づきにくいんですよね。
こう自分は今気にしすぎていたっていうことなんかをね、今こういうことを気にしていたってのをパッと瞬間瞬間流れてしまうので気づかないんですよ。
だからまずは「あっ、いま自分はすごく○○について気にしてるんだな」「あのことが気になって頭の中がそのことばっかり考えてるんだな」っていうふうに気づくことっていうのがステップ1なんですね。
で、ステップ2としては「気にすることを気にしない」っていうことで、これ本当にすごく怖いんですけど。
松尾
気にすることを気にしない?
伊東
「どうしたら気にならなくなるでしょうか?」っていうことを永遠と考え続ける人っていうのがいるんですよ。
「どうしたら気にならなくなるんだろうか?でも気にしてしまうし、でもそんな気にしている自分が嫌で直したいけど気にしてしまう・・」永遠とそのループっていうのを回ってしまうと。
松尾
ああ、寝ているときに時計の「コトッコトッコトッ」ていう音が気になってしょぐがなくて別に寝られないほどじゃないのに。気になって気になって「ああ、気にしたくない」ってこう手で耳を覆うんですよ。
そうするとこの手が気になって仕方がないんですよ。なんかそういうことがあってもう全然別の安眠法を編み出したんですけどね。
伊東
そういう悪循環っていうか連鎖反応なんですね。ただ気にしすぎなだけじゃなくても、怒りが怒りを呼ぶってありますよね?何かに怒るとそんなに怒ってる自分が嫌なんだけど、「そもそもあの人があんなことをしなければ」ってまた怒る。
「どうすれば怒らなくなるだろう?」ってまたムカツいてくるって、やっぱりネガティブな感情って強いので連鎖反応になってくるわけなんですよ。
なかなか流すのが難しいのは分かるんですけど、その本当に客観的に見つめるっていうのは心理学ではすごく重要なことなんですね。
それでもまだ気になるようであれば、「時間と量を短縮する」(ステップ3)気にすることを全く止めようと思うと無理じゃないですか?
髪の毛触るクセと一緒で、例えばどうしても触るクセが直らないんだったら、いつもだったら10回触るところを5回でガマンするとかって減らす。無くすんじゃなくて減らすっていう発想を持つと人っていうのはけっこうコントロールが効くわけです。
松尾
ステップ4
伊東
「気にしすぎの思考を止める」ということで、言うならば「思考停止法」っていうのがあるんですけど。
スポーツ選手なんかがよくやるのが手に輪ゴムを巻いて置いて、例えば試合で失敗している姿とか浮かんできたらパチンと輪ゴムをはじくんですよ。やってみると本当にこれ痛いんですよ。
3,4回嫌なイメージ、気にする→パチンってやっていると、3,4回気にしようとすると「やめろ!」って心の声がどこかから聞こえてくるんです。身体に条件付けするわけなんですよ。
こういうことを気にする、こういうことを考えると嫌なことが待っているぞっていうのを自分で条件付けをすると。これを思考停止法っていうふうに言うわけです。
松尾
パッチンするんだ。
伊東
会社員の方なんかもつねるっていう方とか多いですよ、プレゼン前に緊張してきたときはほっぺたをつねるとか。別に輪ゴムじゃなくてなんか物理的なサインであればいいわけなんですよ。
加藤
やってみよう・・。
伊東
ただなかなか電車の中でパチンパチン叩いていると変な人に(笑)
加藤
そうですよね、それを気にしつつ(笑)
伊東
そういう場合は、例えば頭の中で「終わり!もうそこで終わり!はい、無意味なこと止める!」って自分で号令を与えてみるとか。
あとチェンジっていうっかたちにして、そんなことを考えているよりも次の夏休みの予定でも考えてみようとか今週末どこ行くか考えようって言えば、そういう意味で切り換えという形で停止を自分に命ずるのも1つですかね。
それの応用で最後ステップ5なんですけど、せっかく気にするんだったら有効な気にしすぎに切り換えましょうねと。例えばよく本当恋愛とかでもあるのは「あの人は私のことどう思っているのか?」って多いんですよ。
前に携帯サイトの監修をやっていて、毎月300件くらい恋愛相談っていうものが来て、10件くらいお答えしてアップするっていう仕事をやっていたんですけど。というのは「本当に彼は私のことを愛してるんでしょうか?」とかね。
松尾
知らんがな!ねえ。
伊東
おっしゃる通りですが、まあそういうことは言いませんけどね。まあ本当に真面目な方に多くて、「これって私は彼のこと本当に好きなんだろうか?」「単なる遊びなんだろうか?」「そもそも本当の愛ってなんだろうか?」っていうふうに。
よくそれで言うのが例えば哲学者になりたいとか恋愛の文学でも書きたいんだったら、それはすごく有効じゃないですか。「恋ってなんだろう?」「好きになるってなんだろう」って。
でもそうでない限りは無意味っていうと失礼ですけど、あんまり有効じゃないですよねと。
じゃあ有効なことっていうのは何か?っていうと、例えば相手に「私は○○さんのことを好きなんだけど、△△さんはどう思ってる?」と言うことであったりプレゼントあげることであったり、「一緒に帰ろう」って言うことであったりするじゃないですか?
だからそうやって有効な気にしすぎに切り換えると。で今5つ言ってきましたけど人によってね、合う・合わないっていうのがあるんですよ。
だから今まあステップで順番に言いましたけど。合うやつをピックアップしてまずそこからはじめると良いですよね。
松尾
でもそういうちょっとポジティブだから良いわけでもないっていうことでもあるんですか?
伊東
そうですね、そこでまあちょっとすごくこれ強調したい付け足しなんですけども、ポジティブ思考の罠って本当にハマらない方がいいですよ。
今1つ心理学の潮流で割とこう盛り上がってきているのが「過剰なポジティブシンキングって危険ですよね」っていうのが分かってきているわけなんですよ。
正直、本屋さんとかに行けば「ポジティブ思考のすすめ」とか「ポジティブ
ポジティブ・・」ってありますよね。もちろんポジティブ思考ってすごく良いことで健康にも良いっていうのは分かってるんですけど。
とても面白いデータで落ち込んでいる人に無理矢理ポジティブシンキングをやらせると、余計に落ち込むっていうデータとかっていうのがあるんですよ。1つの理論っていうのが現状とのギャップを逆に感じてしまうんですよね。
「ああ、ハッピーな自分。ハッピーな自分」って言った瞬間に「今、ダメな自分」っていうのが浮かんできてしまう。その落差で余計に落ち込んでしまうっていうことなんですよね。
だから気分が落ちたときは「人間誰しもこういう日ってあるよね」とか、「こうやって悲しくなる日もあるよね、まあいっか!」っていうようなそういうノリっていうのも1つ重要なわけなんです。
松尾
そうですね、「これでいいのだ」っていう口癖はすごく楽なんですよね。
伊東
「なんくるないさ」とか世界でそういうのはあるじゃないですか?あれ本当に心理学的に見てもすごく重要なことなのでまあ簡単にまとめると、ポジティブになれない自分っていうのを気にしすぎない方が良いですよと。
松尾
僕、松岡修造さん見ていると暗い気持ちになるんですよ。
加藤
そうなんですか(笑)
伊東
まあそういう人は多いと思いますよ。
松尾
「俺にはできないよ、そんなことは」と。「できる!できる!」「いや、できないって!」って思っちゃう。
伊東
まあそれもネットとかの罠でfacebookとかtwitterでも、それこそ「こんな美味しいものを食べてます」「ハワイに来ています」っていうを見た瞬間に今現状自分はこんなしょぼいものをしょぼいところで食べていてって落ち込んだりするじゃないですか?
松尾
寂しいから人と繋がるためにSNSやってるのに、見ているうちにだんだんそのコントラストで自分が沈んでしまうっていう。
伊東
でもなかなかそれが言えないから「いいね!」って押してしまって。「○○さん羨ましいです!」ってまあそんなお世辞を言っている自分が嫌になったりしてですね。
松尾
で、自分が精一杯書いたことには、「いいね!」押した相手は押してくれなかったりする。
加藤
気になりますね(笑)
松尾
いやまあでも気の持ちようというけど、なんか快適なものばかり見たかったり信じたかったりっていうのって人間の本性としてあると思うんですけど。それが偏りすぎるとまた何か不都合が出てくるんでしょうかね?
伊東
そうですね、「確証バイアス」っていうそういう心理メカニズムがあるんですけど、「人は簡単にいうと信じたいものしか信じないし、見たいものしか見ないですよ」っていうメカニズムがあるんですよ。
ですから、気にしすぎの人の1つのパターンが、マイナスに考えてしまう「自分の人生はダメだ」とか「自分はダメだ」と思うとそのダメな証拠ばっかりを見つけてしまう。
「人生お先真っ暗」と思うとネットをひいても{年金もらえません」とか「日本はこういう問題が山積み」やっぱりそこばっかりクリックしちゃうじゃないですか?
逆がその松尾さんおっしゃったような良いことの方ばっかりを抽出してしまう。そうするとリスクとか努力すべきことっていうのに目を向けなくなってそれはよろしくないと。
だからやっぱり結論というのはグレーゾーンを見るというのはすごく重要なんですよね。バランスよく見るということなんですよ。
松尾
まあ例えばtwitterなんかだとね、自分の同じ意見を持っている人ばっかりフォローするじゃないですか?
そうするとね、ズラーッと見ていると「ほら、みんな俺と同じ意見だ」って。そうするとフッと気がつくと世の中にそれほど自分と同じ意見の人はいないのになんか快楽情報ばっかり求めて、自分はそのぬるま湯に浸っていて、あるとき突然現実を見てガクッと落ち込むっていうこともあるんですよね。
伊東
あとはその自分の方の情報ばっかり集めてしまうと、自分と違う意見に対して寛容さがなくなってしまうんですよね。もう「自分こそが正義」みたいになってしまって聞く耳が持てなくなってしまったりとか。
松尾
そろそろお別れに時間になってしまいましたが、この番組は学生の皆さんに研究することや学ぶことの面白さを伝えたいという番組でして一言メッセージいただけますか?
伊東
私もいろんな研究者の方と接することが多いんですけど、そういう方たち見ていてすごいいきいきしている方とか活躍されている方を見るとすごく思うのがですね・・
自分が持っている知識を一般の人たちにどうやって伝えることができるかな?って考えてる方ってすごくなんか自分もハッピーだし、周りもハッピーにしているなと。
だから自分の研究のポリシーとかやり方を大切にしつつも、せっかく自分が研究したことがどうやったらもっと一般の人々に活かすことができるかな?
たとえすごく難しいことで活かせないとしても、どうやったら面白く伝えることができるかな?を。たた自分の研究だけにとどまっているんじゃなくて、
それをどうやって一般の人に上手く活かしていくことができるかっていうことのを常に若い頃から考えていると自分も楽しいし、周りも楽しく出来るんじゃないかなと思いますけどね。
松尾
良い研究者っていうのは、良い表現者であり良い教育者でありっていうちょっと繋がっているところがあるっていうことでしょうかね?ありがとうございます。
(まとめ)
気にしすぎを直す5つのステップ
- 「気にしている自分に気づく」(現状認識)
- 「気にすることを気にしない」(気にしすぎるループを止める)
- 「時間と量を短縮する」(無くすではなく、減らす方向に)
- 「気にしすぎの思考を止める」(思考停止法:物理的サインや切り換え)
- 「気にするんだったら有効な気にしすぎに切り換え」(有効な方法に思考をシフト)
(了)